Tuesday, June 6, 2023

日本代表メンバーに10代の選手はゼロ「変わらなければいけない」のは日本ではなく、選ぶ側の森保一監督だ

 エルサルバドル戦(6月15日)、ペルー戦(6月20日)を戦う日本代表メンバーが以下のとおり発表された。 GK シュミット・ダニエル(シントトロイデン)、中村航輔(ポルティモネンセ)、大迫敬介(サンフレッチェ広島) DF 谷口彰悟(アルラヤン)、板倉滉(ボルシアMG)、森下龍矢(名古屋グランパス)、伊藤洋輝(シュツットガルト)、瀬古歩夢(グラスホッパー)、菅原由勢(AZ) MF/FW 遠藤航(シュツットガルト)、伊東純也(ランス)、浅野拓磨(ボーフム)、古橋亨梧(セルティック)、守田英正(スポルティング)、川辺駿(グラスホッパー)、鎌田大地(フランクフルト)、相馬勇紀(カザピア)、三笘薫(ブライトン)、前田大然(セルティック)、旗手怜央(セルティック)、堂安律(フライブルク)、上田綺世(セルクル・ブルージュ)、川村拓夢(サンフレッチェ広島)、中村敬斗(LASK)、久保建英(レアル・ソシエダ)、川﨑川崎颯太(京都サンガ)  3月のウルグアイ戦、コロンビア戦のメンバーから外れた選手は谷晃生、半田睦(いずれもガンバ大阪)、角田涼太朗、西村拓真(いずれも横浜F・マリノス ※角田はケガのため辞退)、町田浩樹(ユニオン・サン・ジロワーズ)、冨安健洋(アーセナル ※ケガのため辞退)、橋岡大樹(シントトロイデン)、藤井陽也(名古屋グランパス)、バングーナガンデ佳史扶(FC東京)、田中碧(デュッセルドルフ)、町野修斗(湘南ベルマーレ)の11人。  代わって招集された選手は中村、谷口、森下、古橋、川辺、相馬、旗手、川村、川﨑の9人。森下、川村、川﨑の3人は初招集になった。  多くの選手を入れ替えた点は評価したい。だが中心になるとおぼしき選手に大きな変更はない。それこそが中心選手たる所以だと言えばそれまでである。しかし、そうした概念を大変革すべき時期を迎えていることも確かなのだ。  ご承知のようにW杯を取り巻く環境は今回、大きく変化した。2026年W杯の本大会出場枠は32から48に拡大。アジア枠に至っては4.5から8.5にほぼ倍増した。2枠だった1994年W杯では落選したが、3.5枠になった1998年W杯以降、日本はプレーオフに回ることなく、ほぼ余力を残しながら本大会出場を果たしている。 【W杯予選は事実上、無風区になった】  突破の確率およそ9割。少なく見積もっても8割。予選落ちはまさかの大事件に相当するというなかで戦ってきた日本だが、8.5枠になれば状況は一変する。ハードルは思いきり下がる。実力と枠の関係を考えたとき、日本は世界で最も楽な、事実上の無風区に身を置いている。  W杯本大会に向けた強化策も、それに呼応した中身に改革されなければならない。大きな発想の転換が不可欠である。その自覚や認識を3月のメンバー発表に続き、今回も見て取ることができなかった。3月は森保一監督にとって続投初戦だった。新たな門出を祝う一戦と位置づければ、それに相応しいメンバーで臨むことにギリギリ納得することができたが、今回はそうはいかない。 代表メンバーについて記者会見で答える森保一監督(右)と山本昌邦ナショナルチームダイレクター  三笘、鎌田、久保、守田、遠藤、板倉、堂安ら、実力、実績ともに十分な選手を、前回に続き今回もすべて選ぶ必要はない。筆者はそれこそが新たな局面を迎えた代表強化策のあるべき姿だと固く信じている。W杯本大会まで丸3年以上あるいまから中心選手を決め、チームを作る必要などないのだ。  この代表選手発表の記者会見では、現在アルゼンチンで行なわれているU-20W杯を引き合いに出した質問が出た。 「本日、日本が戦ったコロンビアにはA代表選手がいる。世界的にも各国で10代の代表選手が目につく。だが日本のU-20には代表に呼ばれた選手は誰もいない。問題ではないのか」  森保一監督はこう答えた。 「日本が世界で戦っていくために変えていかなければならない点、変わっていかなければならない点だ」  かたわらに座る、代表監督を評価する立場の山本昌邦ナショナルチームダイレクターもそれに応えるように、こう続けた。 「そういった意味では今回、よく川﨑(21歳)を選んだなと。よく見ている」  10代の選手は、この会見が行なわれた8時間ほど前に終了したブライトン対マンチェスター・シティ戦のピッチにも4人、立っていた。そのなかのひとりであるファクンド・ブオナノッテ(ブライトンの右ウイング、18歳)は、すでにアルゼンチン代表歴がある選手だが、自国で開催されているU-20W杯には出場していない。世界にはそうした選手がゴロゴロいる。 【知名度の高い選手を外せない理由】  将来を嘱望される18歳の代表選手にとって、U-20W杯に出場することと、マンチェスター・シティと戦うこととどちらが有益か。将来のためになるか。答えは見えている。  18歳でアルゼンチン代表に選ばれる理由は、もちろん能力が高いからだろうが、代表チームにそうした若手選手が入り込む余地があるからでもある。ベストメンバーでは常に戦わない文化である。チームの核となる実力者でもあえて招集しない。手を抜くわけではないが、あえて休ませるという考え方が普通に浸透している。  日本にその文化はない。日本代表戦といえば、国立競技場を満杯に埋めたなかで行なわれるものと決まっている。強化と言いながら、実際は半分、興行だ。そこにはテレビの視聴率やスポンサーのしがらみも関わっているものと推察される。三笘、久保、鎌田ら知名度の高い中心選手は、そうした意味で外せない選手になっている。エルサルバドル、ペルーを相手にした場合でも、だ。  この日本代表を取り巻く産業構造下に、10代の若手をせっせとテストする余地は存在しない。監督、協会首脳陣の保身もあるだろう。代表は常に勝たなければいけない集団だと称し、勝ちやすいメンバーで臨もうとする。  10代の選手が代表チームにいないのは、まさに代表監督の責任であり、サッカー協会の責任だ。「変えていかなければならない点、変わっていかなければならない点」と言う森保監督の言葉は、どこか他人事に聞こえる。21歳の川﨑を加えただけで、さすがと持ち上げるナショナルチームダイレクターも同様に見える。  その次に投げかけられたのは以下の質問だった。 「落選した町野、伊藤涼太郎(アルビレックス新潟)、大迫勇也(ヴィッセル神戸)は当落線上だったのか」  森保監督はこう答えた。 「ここにいるメディアの皆さんもそうですし、この映像をいま見聞きしているファンの方もそうですが、それぞれ推している選手がいて、フラットに見ていると言っても、人それぞれ違うと思います……(中略)……誰かを推すという話をするときには、皆さん、誰を外すかという話も同時に準備して質問していただけたらと思います」  ならばこう答える。欧州でバリバリに活躍している中心選手を外せと。当選確率90数%の事実上の無風区を戦う、世界で最も楽な立場にいる代表監督であるにもかかわらず、10代選手を26人のなかにひとりも加えることができない。代表監督失格だというのが率直な感想だ。  全く違った概念で戦わないと、日本は世界から遅れていく。U-20W杯にも参加しないブライトンのブオナノッテが、筆者には眩しく見えて仕方がないのである。

イニエスタ17年バルセロナと生涯契約 スペインリーグ優勝9度、欧州CL優勝4度/アラカルト

ヴィッセル神戸の主将で元スペイン代表のMFアンドレス・イニエスタ(39)が25日、神戸市内で記者会見を開き、今夏限りでの退団を正式に表明した。神戸との契約は今季末まで残っているが、途中での退団となる。    ◇   ◇   ◇ ■アンドレス・イニエスタ ◆生まれ 1984年5月11日、スペイン。サイズは171センチ、68キロ。 ◆34歳まで一筋 12歳からバルセロナの下部組織に入り、02年プロデビュー、15年から主将、17年には生涯契約を結ぶ。同クラブではスペインリーグ優勝9度、欧州CL優勝4度、公式戦通算674試合57得点。 ◆神戸移籍 三木谷会長の熱烈オファーで神戸をアジアNO・1にするため18年5月に人生初の移籍を決断。バルセロナ退団会見では号泣した。推定年俸32億5000万円はJリーグ史上で最高額(22年から推定約20億円に減額)。J1通算113試合21得点。 ◆スペイン代表 18年ロシア大会までW杯は4大会連続で出場し、10年南アフリカ大会ではオランダとの決勝で決勝点を奪い、母国の初優勝に貢献。W杯通算14試合1得点、国際Aマッチ通算131試合14得点。 ◆副業 母国ラマンチャ地方にブドウ用の畑とワイナリーを所有し、10年から自らのワインブランド「ボデガ・イニエスタ」を発売。 ◆克服 バルセロナで欧州CLなどシーズン3冠を獲得した直後の09年夏に突然、うつ病を発症。両親や同僚、医師らの助けを受けたことを後に告白した。 ◆結婚は日本が縁 バルセロナで07年、日本遠征した際にANAのミニチュア飛行機を購入。交際していたアンナ夫人に贈り、その後に結婚した。

「三笘薫に『正直しんどいです』」アーセナル冨安健洋24歳の告白…三笘との“ユニ交換”で何を話した?「尊敬する(香川)真司さんのアドバイス」

英プレミアリーグで首位を走るアーセナル。リーグ戦20試合を終えた時点で、途中出場も含めて16試合に出場している冨安健洋(24歳)。ミケル・アルテタ監督からの信頼も厚い冨安がNumberの独占インタビューに応じた。1月ブライトン三笘薫とのマッチアップ後に、ふたりが話したこととは?【全2回の2回目/#1へ】 ◆◆◆ 三笘薫に「しんどいですわー」  ブライトン戦の試合後には、笑顔でユニフォームを交換するふたりの姿があった。ワールドカップでは、日本代表の左サイドで共にプレーした時間もあった。  ユニフォームが変われば、盟友はピッチの上で倒すべき相手となる。プレミアという舞台でぶつかりあう、そんな時間をふたりは楽しんでいるように見えた。 「試合後、(三笘)薫くんには『しんどいですわー』と言いましたね。試合中、薫くんと2対1という状況がけっこう多かったので。薫くんがサイドにいて、さらに僕とセンターバックの間に走ってくる選手もいた。とりあえずその選手を捕まえて、そこから薫くんへ行ってという風にやっていたから、これはしんどいですという話はしましたね。正直、プレミアに日本人選手が2人というのは、まだまだ物足りないと思います。僕はイタリア、ベルギー、イングランドの3カ国でしかやったことはありませんが、間違いなくプレミアが世界一のリーグだと言える。やってみないと、実際にそれは肌で感じることができない。ひとりでも多くの日本人がプレミアの舞台に来て、そして優勝を争えるようなトップ6でプレーすること。4位以内に入ってチャンピオンズリーグでプレーする選手がひとりでも多く出てこないといけないと思っています。今回のカタールワールドカップの日本代表のメンバーを見ても、海外組はかなり増えています。チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出る選手や、4大、5大リーグでプレーする選手の割合は増えている。でも、それでも結局、ワールドカップでは16強の壁にまたしても阻まれた。その意味では、まだまだ足りないのかなと思います」 「真司さんとは食事にいかせてもらう関係」  ワールドカップで日本サッカーが超えられなかった壁、そして自身のパフォーマンスに関しては、何度振り返っても消化不良だったとの思いが消えない。後悔の念も、少なからず残っている。 「満足の行くワールドカップではなかったです。大会前にアーセナルで怪我をしたけど、初戦のドイツ戦には間にあうくらいだったので、僕としては大丈夫だと思っていました。でもリハビリをしてもベストのコンディションで初戦を迎えることはできなかった。2戦目のコスタリカ戦も出られず、スペイン戦も途中からになって。難しかったですね」  失意の冨安は12月に日本に一時帰国した。日本代表はベスト16で敗退したものの、ドイツとスペインを破り、クロアチアをあと一歩のところまで追い詰めた戦いに、称賛の言葉を浴びることもあった。しかし冨安はそれを喜ぶことはできなかった。  束の間の日本滞在では香川真司と食事にでかけた。尊敬する先輩と、サッカーや人生について語りあい言葉を交わす中で、その思いはさらに強くなった。 「真司さんとはタイミングが合えば一緒にご飯に行かせてもらう関係で、尊敬している先輩のひとりです。もしかしたら一番尊敬している先輩かもしれないですね。この人の考え方についていこう、そう思える先輩です。ご飯を食べながら話して、その度に何かしら刺激になるもの、自分の中にすっと入ってくるものを与えてくれる存在です。もちろんカタールワールドカップについても話しました。ああいう負け方もしたし、選手が感じているものと周りからの反響や扱い方にはギャップがある。それは真司さんも言っていました。(吉田)麻也さんも言っていましたけど、選手には負けて帰ってきて悔しい気持ちがある。でも日本で応援してくれたサポーターたちはよくやったと讃えてくれる。ただ、僕たちはサッカー選手だし、結局ピッチ上で価値を示すのがサッカー選手の本質。ピッチ上で自分の価値をどれだけ示せるか、その本質は忘れずにやっていきたいと思います」 「真司さんからのアドバイスの中身」  その時に、香川にもらったアドバイスがある。3年半後のワールドカップを今から頭に入れ計画的に日々を過ごしていくこと――。それまで冨安は、所属するクラブで全力を尽くすことが結果的に日本代表にも繋がると考えていた。しかしそれまでの思考を切り替え、頭の中に次のワールドカップをおくことにした。 「正直、カタール大会はワールドカップのために4年間準備して挑んだわけじゃなかった。アーセナルで、自分のチームで日々やっていることがワールドカップに繋がっていればいい。僕はいろんなところでそう言っていました。でも真司さんから、ちゃんとワールドカップに向けて4年間準備した方がいいという話をしてもらった。真司さんも2014年から2018年までの4年間をしっかり準備して挑んだという話を聞いて。なので次の大会には、ここから3年半しっかりと準備をしていこうと思っています」  3年半という時間をかけて進めていく準備。負傷を減らし、シーズンを通して万全のコンディションを維持するという思いは強い。初めてのワールドカップは負傷により満足の行くものとはならなかった。少しでも怪我を減らすため、新たに始めたこともあれば、逆に止めたルーティーンもある。その足元にも、新しい変化を加えた。 「スパイクはサッカー選手にとっていちばん大事なもので、選手の身体の一部でもある。その意味でもベストの選択をしなければいけない。アシックスは日本の企業ですし、しっかりとディスカッションしながら一緒に細かくスパイクを作っていける。実際に履いてみた感触もいいですね。もともと高校時代にも履いていましたし、フィット感にはいい印象がありました。このまま話し合いながら、いい方向に向かっていければと思います」 <前編から続く> 冨安健洋(とみやす・たけひろ) 1998年11月5日、福岡県生まれ。アビスパ福岡のユースから飛び級でトップチームに昇格し、17歳でJリーグデビュー。その後、シント・トロイデン、ボローニャを経て、2021年8月、アーセナルへ移籍した。2022年W杯は3試合に出場。代表通算32試合出場、1得点。187cm、84kg

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