台湾のバンド・ゲシュタルト乙女が語る、なぜ日本語で歌を書くのか
ゲシュタルト乙女が日本語で歌う理由――そこには、Mikan Hayashiの亡き母親への想いがある。その上で、ソングライターとして日本語でしか表現することのできないニュアンスがあることを発見し、それを活かすことで自身の感情を表現できるのだと語る。 今年1月にゲシュタルト乙女の初期メンバーであったKaiakiが脱退し、現在はMikanの1人で活動中。初の日本ツアー開催を前に、改めて日本にいる人たちへ向けて、Mikanの日本の音楽に対する想いと、メンバーの脱退や「塞ぎ込んでいた」という時期を経た今の心境を語ってもらった。自分を抑え込んでしまう考え方からも、過去の想いからも、さらには国境からも、Mikanは自身を解き放って「自分がまだ知らない自分」に会いにいこうとしている。あなたとともに。 ―最初にお聞きしたいのはやはり「なぜ日本語で歌うのか?」というテーマで。過去のインタビューなどから「日本の音楽が好きだから」ということはもちろん理解しているんですけど、ゲシュタルト乙女を聴いていると、ただ「好きだから」とか、もしくは「日本で売れたいから」とかではなく、日本語で表現することがMikanさんの人生にとって欠かすことのできないライフワークになっているのだろうなと感じるんですよね。だからこそ、あえてそのテーマを深掘りさせてもらいたくて。もともとご両親が日本の音楽が好きで、昔から聴かれていたんですよね。 Mikan:そうですね。両親が日本へ短期留学をしたことがあって、私は小さい頃から日本の音楽やドラマとかの文化を取り入れた環境で育ってきました。母が運転してるときにもよく日本の曲が流れてたし、母はよく弾き語りで日本語の曲を歌ってたので。小さい頃は日本語がわからなくて「何だろうなあ」みたいに思ってたんですけど、大人になって「あ、母が歌っているのは日本語の曲なのか」とわかって興味が湧いて。音楽が好きだという感覚が芽生えたのも、母が日本語の曲を弾き語りしていたからだと思います。そこから高校2年生くらいのときに、高校生のうちに何か残しておきたいから自分の曲を作ってみようと思って、でも友達とかに歌詞の意味がバレたくなくて、日本語でずっと書いていて。中国語で書こうと思ったこともあるんだけど、どうしてもぎこちなくなっちゃって。日本語で歌詞にする方が自分の性格に合うし、慣れている感じがしますね。自分の心境を一番表すことができるんじゃないかなと、大人になってから思いました。 ―そもそもご両親はなぜ日本の文化に興味を持たれていたのでしょうね。 Mikan:明確に聞いたことはないんだけど、アートが好きで。留学したときも、デザインとかアート系の学科に行ってました。憧れがある、という感じはしましたね。 ―お母さんが聴いていた、もしくは歌っていた日本語の曲の中で、特にMikanさんの記憶に残っているものは? Mikan:「ハナミズキ」(一青窈)、MISIAさん、DREAMS COME TRUE。あと德永英明さんが大好きで、毎回アルバムを買っているようでした。徳永さんのカバーで「雪の華」とか、いろんな名曲を知りましたね。 ―プライベートなことに踏み込んでしまうかもしれないので、もし答えたくなかったら「答えたくないです」って言ってもらって大丈夫なんですけど、お母さんは亡くなられているんですよね。 Mikan:あ、そうですね。 ―亡くなられたのは、Mikanさんが何歳の頃ですか? Mikan:大学に入る前の夏休み。もう結構経ってますね。 ―じゃあ、ギター持って歌い始めてから結構すぐだったんですね。 Mikan:そう。私がバンドを組んでいる姿を、母は見れていなくて。最近思うことは……自分が日本語の歌詞をずっと書いているのは何が原因なのかなって、自分の中で探ってて。母との繋がりをずっと保っていたいというのもあるんじゃないかなと、27歳になって改めて思うようになりました。5月5日がこどもの日で、自分の子どものときの写真とかを見ていたら、母との繋がりみたいなものが蘇ったというか。改めて、自分が日本語で歌詞にするのは母との繋がりがずっとあってほしいから、というのもあるんじゃないかなとは思いました。 幼少期の写真(提供:Mikan Hayashi) 何を残すべきか、もしくは残さない方がいいか ―オリジナル曲を書き始めた高校生の頃は、どういった心境を歌にしていたんですか?「友達にバレたくない」と思うものとは、どういうものだったのでしょう。 Mikan:人間関係とか、人と人の距離感とか。台湾では「敬語」という意識があんまりなくて、人と人の距離を言葉で表すことが難しい。日本語には「敬語」や「タメ口」があって、すぐに人と人の距離がわかるじゃないですか。自分の性格はちょっと心配性で、「自分が何かしたかな」みたいなことを考えちゃうタイプで。台湾ではこういうのを言葉でなんて表したらいいかわからないんですよね。高校で書いた曲は、ほぼこういう感じの歌詞だったんじゃないかなと思います。 ―今は、どういう感情や出来事から歌詞にしたいものが湧いてきますか? もちろん曲によるとは思うんですけど。 Mikan:自分のネガティブな想いとか、本当に大事にしたいこととかを、凝縮して歌詞にしたい。想いという形がないものを曲や歌詞にしたいなとは常に思っています。 ―新曲「窓」もそうですけど、ゲシュタルト乙女の音楽は「忘れる」「忘れない」というワードがよく出てきますよね。 Mikan:ああ、たしかにそうかも(笑)。無意識的に、何を残すべきか、もしくは残さない方がいいか、多分、生きていく中でずっと思っていて。何が自分にとっては大事なことで、何が一番心がけるべきことなのか、みたいなことをずっと思ってる。私はMBTI診断で「ENFP」っていう、楽観的で忘れっぽい性格というふうに出て当たってるなと思っていたんですけど(笑)。なるべく後悔もしたくない。どんな選択であっても結果に対して自分が納得できるようにしたい。何も無駄にしたくないし、「悲しいな」という想いに時間をかけなくない。だから何か大きな変動があってもすぐに立ち直れるような人なんじゃないかなとは自分で思います。 ―ソングライターとして、そういった想いが中国語よりも日本語の方が表現しやすいという感覚があるのでしょうか。 Mikan:中国語は母国語だから、ぎこちないよね。ゲシュの歌詞は、特に新曲はそうだと思うんですけど、まっすぐ想いを伝えるようなものになっていて。中国語って全部見抜かれるような感じで、もし中国語で作っていたら、ちょっと恥ずかしいなあという気持ちがありますね。 ―そうやって書いた曲が日本人に聴かれることに対しては、どういう気持ちですか? Mikan:台湾のバンドとして意識して聴いてほしいなというのはあるんですね。でも台湾と日本とか関係なく、私1人として発信していきたいのはこんな音楽だよって、日本のリスナーに向けても、台湾のリスナーに向けても届けていきたいなと思います。 ―Mikanさんの歌詞って、日本語に対して自由な発想を持っているからこそ、抽象的なことや形のない想いを日本語で表現するときに「そういう表現の仕方があるのか」と、新しい言い回しに出会わせてもらうようなことが多いんですよね。しかも抽象的なもののはずなのに「ああ、わかる」って想像も共感もできる。それが面白いし、Mikanさんの書く曲の魅力のひとつだなと思ってました。 Mikan:ありがとうございます! 実はみんな表現者なんですよね ―時間の流れや空間の制限に逆らって「想い」を音楽という形にして残そうとしたときに、今のゲシュのサウンドを選んでいることもしっくりきます。こういったサウンドだからこそ表現できるものが、Mikanさんの中であるのだろうなと。 Mikan:高校の頃はきのこ帝国とかindigo la Endを聴いていたので、そういう音楽に染められて自分の色になっていくような感じで。きのこ帝国は、聴いていて落ち着かないというか、ドキドキするような感じがずっとあるんですよね。たとえば「春と修羅」はコード進行が2つだけで、だけどすごく暴力的に音を鳴らしているような雰囲気で、しかも物語を述べるような歌詞で。それを聴いて「バンドってこんな感じなのか」って、自分の中で意識し始めたんです。indigo la Endは、歌詞の書き方がそれまで聴いてきた音楽とはまったく違って、綺麗な言い回しが魅力的だなと思いました。 ―「ゲシュタルト乙女」が、メンバーの脱退もあって今は1人であるにもかかわらず「バンド」という形態を続けるのはなぜでしょう。Mikanさんの中で「バンド」というものに強い憧れがあるのでしょうか。 Mikan:ありますね。今メンバーは私1人になっているんですけど、ゲシュタルト乙女はバンドでずっとあってほしいなと思っていて。「バンドでありながら、音楽プロジェクト」という形でやりたいなと思っています。今は、桃太郎が仲間を連れて鬼ヶ島に行く途中だと思います(笑)。今回のツアーには出ないけど、実は将来に向けて仲間を集めながら新しい音楽を作っている最中です。 ―6月から初の日本ツアーが始まりますが、ここまでのお話を聞いて、それがMikanさんの人生にとってとても大きな意味のあるものなのだろうなと思います。今、ツアーに向けてはどういう想いがありますか。 Mikan:終わりじゃなくて、始まりだなとは思っていて。高校時代の夢が日本ツアーに行くことだったけど、今は次の目標へと繋がる始まりになっているから、自分も進化していかなきゃいけないなとは思ってます。コロナ前からずっと計画していたんですけど、結局コロナがあって、バンドも編成が変わって。いろんな変化を受け止めて、改めて日本ツアーに行けると決まったことが嬉しいなと思うんですよね。コロナでライブができない空白の時間を過ごしてライブの大事さがわかったし、自分なりに自分を表現してステージに立つ姿をお客さんに見せたいなという想いがあります。自分も表現者という形でステージに立っているんですけど、お客さんものライブのひとつの部分なんじゃないかなとは思っていて。実はみんな表現者なんですよね。ライブのときにみんなでひとつになってほしいなって思います。 自分を閉じ込めているような状態だった ―Mikanさんの次の目標って何ですか? Mikan:音楽をずっと作り続けることが目標ですね。自分が本当に形にしたいことを1個1個続けていくことが、自分の中の鬼ヶ島なんじゃないかな(笑)。何があってもずっと音楽を続けたいなという気持ちです。 ―ツアーのタイトルが「未来の窓」で、新曲のタイトルも「窓」。未知の自分に会いにいく、といったことを今Mikanさんの中でテーマにしている理由を聞かせてもらえますか。 Mikan:心理学の「ジョハリの窓」というのがあって、自分のことを窓として見たときに4つの分類があって「未知の窓」がその1つで(※自分も他人も知らないような、まだ誰からも知られていない自己を「未知の窓」という)。今いろんな変化を受けている途中の状態で、どんな未知なる自分を見つけられるんだろうなって。それがツアーでやっていきたいことだし、ライブに来たお客さんにも自分も知らない自分を見つけてほしいということを伝えたいです。「窓」の歌詞は自分に向けて書いていて、”君”と出てくるんだけど、それも自分と自分の会話みたいな感じで。バンドメンバーが脱退して、全部自分が向き合わないといけない状況だけど、自分で自分を引っ張って前を向いて歩きたいなという心境です。 『窓』ジャケット/イラスト:我喜屋位瑳務 ―Kaiakiさん(今年1月に脱退した元メンバー)の脱退は、きっとすんなり受け入れられるものでもなかったですよね。 Mikan:でも身体の状態があんまりよくないということで、ここ2、3年間ずっと話はしていたので。ただ、日本ツアーに一緒に行けてないのがちょっと惜しいなあという気持ちはあるんですよね。だけど2人のこれからのこともあるし、みんなの中で出した着地がそれだったので、それを引きずって悲しむとかではなく、前を向いて歩こうって。 ―未知な自分を探っていこうという気持ちが今Mikanさんの中でテーマになっているのは、ゲシュの状況やコロナ禍の変化があったから、ということ以外にも何か理由があったりしますか。 Mikan:高雄から台北に引っ越してきて1年経って。引っ越しする前は、自発的に人と接することが苦手だったというか、自分を閉じ込めているような状態だったんです。台北に引っ越してきて、みんながどういう姿勢で音楽に向き合って頑張っているのかを見て、自分も自発的にいろんなアーティストと接することでまだまだ自分が知らない自分を見つけられるんじゃないかなと思って。台北に引っ越してきて、もっともっと未知の自分を見つけたいなという気持ちが出てきたところはありますね。 ―台北に引っ越す理由やきっかけは何かあったんですか? Mikan:しいて言うと……ないかな(笑)。あ、でも一時期、すごいネガティブで塞ぎ込んでいたときがあって、それを改善するために環境を変えようかなとは思って。それがきっかけでもあるかな。 […]