Tuesday, June 6, 2023

職場にいる「考えるクセがついている人」と「考えられない人」の決定的な差とは?

近年、「頭の回転の速さの象徴」としてお笑い芸人が多くの場面で活躍をしている。そんなあらゆるジャンルで活躍をし続けるお笑い芸人たちをこれまで30年間指導し、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも話題になった伝説のお笑い講師・本多正識氏による『1秒で答えをつくる力 お笑い芸人が学ぶ「切り返し」のプロになる48の技術』が発刊された。ナインティナインや中川家、キングコング、かまいたちなど今をときめく芸人たちがその門を叩いてきた「NSC(吉本総合芸能学院)」で本多氏が教えてきた内容をビジネスパーソン向けにアレンジした『1秒で答えをつくる力 お笑い芸人が学ぶ「切り返し」のプロになる48の技術』より、本文の一部をもとに仕事に関する本多氏の考え方をお届けする。 「考えるクセがついている人」と「考えられない人」の決定的な差  これまで多くのビジネスパーソンやお笑い芸人を見てきました。そのなかで感じたことは「考える質」によって仕事の質も大きく変わるということです。考える質が高ければ仕事の質も自然と上がっていきますし、逆もまた然りです。  お笑いの世界に限っていえば、「考えの質を高められない人」は生き残っていくことは難しく、もしかするとそれはビジネスの世界も同じなのではないでしょうか。毎年多くの生徒が一流芸人になることを夢見てその門を叩くNSC(お笑い養成所)ですが、必ず教えることのひとつが、この「考える質を高めなさい」ということです。  お笑いの場合、「深く考えているかどうか」はネタを見ればわかります。漫才であれコントであれ、しっかりと考えられたネタは自然と情景が浮かびます。学校のネタであれ病院のネタであれ、それがどんな場所で、どんな人で、どんな考え方の人なのかネタ設定が自然と入ってくるのです。  たとえば、よく練られたネタは、学校のコントをするにしてもそこが男子校の設定なのか女子校の設定なのか、先生の年齢はいくつなのか、どんな教科の先生なのかなど、一見するとコントに関係ないところまで緻密に設定が決められています。そうすると見ているお客さんは同じイメージを共有しながらネタを見ることができるためストレスがありません。  一方で、練られていないネタは「学校」ということが決められているだけで、それ以外のことは見ている側が頭を使わなければいけません。ネタを見ていて「まぁこんなものでしょ」とネタをつくりながら考えることをやめたのがすぐにわかります。  つまり、良い芸は具体的で質の高い思考でできています。極端な話、NSCの授業のネタ見せコメントでは、「病院のコントなのはええんやけど、それはどんな病室なん?」「築何年でどのくらい年季が入ってん? ドアとかベッドの位置とかまで決まってんの?」と質問をします。当然、最初から答えられる人はほとんどいませんが、この質問を通して、「どこまで深く潜って考えなければいけないのか」を知ってほしいのです。  ネタづくりとなると「どこに目をつけるか」のセンス勝負のように感じる人もいるかもしれませんが、センスだけでは絶対にうまくいきません。むしろ、センスがそこまでなくとも「深く考える」ことをひたすら繰り返すことで、お客さんに喜んでもらえるネタをつくることができます。だからこそ努力しがいのある仕事なのです。  かつての教え子でこの「深く考えること」を実践して飛躍した芸人がいます。 「深く考える」ことを実践して飛躍した芸人とは  それは友近さんです。彼女はNSC(お笑い養成所)入所時、すでに完成された芸人でした。地方のローカルタレントとして場数も踏み、満を持して芸人の道に入ってきたという印象です。そんな彼女に唯一教えたことが、この「深く考えること」でした。  当時、彼女のネタにも「それはどんな人なんやろうなぁ」「どんな場所なんやろうなぁ」と思考を深める質問をしました。質問すればするほど彼女のネタのクオリティは上がっていきあっという間に人気芸人の仲間入りです。  彼女が披露するネタや何気なくやるミニコントを見て「うわ、こんな人いそう!!」と自然と思えるのは彼女が深く考えている証拠です。  深く考えることは誰でも実践できます。子どもでも大人でも、ビジネスパーソンかお笑い芸人かどうかも関係なく磨いていけることです。道具も必要としないので皆さんもぜひ試してみてください。

【どうする家康】嫡男を家康が切腹させた事件の通説に疑問、父子関係の異例さ示す数字とは

家康が嫡男・信康に切腹を命じた 「信康事件」の通説は正しいのか  NHK大河ドラマ「どうする家康」では、前半のクライマックスともいうべき「信康事件」へ向かって話は展開しつつある。 「信康事件」とは、浜松を居城としていた家康に対して、岡崎城にあった家康の正室・築山殿(ドラマでは瀬名姫)と嫡男・信康が武田との内通の疑いをかけられ、築山殿は斬られ、信康は二俣城で切腹を命じられた、というものである。  この事件の顛末(てんまつ)については、家康の家臣である大久保彦左衛門が書き残した『三河物語』に沿って、夫婦仲も嫁姑の関係も悪かった信康の妻・五徳(織田信長の長女)が嫉妬して、両者の武田側への内通、信康の領民への残虐行為、瀬名の唐人医師滅敬との不貞行為など、あることないことを信長に讒言(ざんげん)し、信長が処分を命じたので、家康が嫌々それに従ったという説が通説だった。  ただ、『三河物語』でも、五徳の手紙を信長の元に持参した重臣・酒井忠次に信長は真偽について尋ねており、忠次はいずれの点についても否定しなかったとある。そして、忠次は岡崎を素通りして浜松の家康の元に直行し、家康は家臣たちに信康との接触などを禁じ、処分したというのであるから、讒言であれば、忠次が信康を弁護していないのはつじつまが合わない。 ※井伊直政、本多忠勝、榊原康政が10万石クラスだったのに、酒井家が家康の関東移封のときに3万7000石しかもらえなかったのは、このときに信長に上手に弁解しなかったからだという説かある。だが、それは、酒井忠次はすでに引退して、子の家次は若輩だったからである。家次はさして功績もなかったが越後高田10万石、孫の忠勝は山形13万7000石に抜てきされている。  そして、最近では、各種の日記など同時代資料の調査が進み、信康の乱行が事実で、また、家康と信康の対立があったことも書かれているのが明らかになった。しかも、本能寺の変以降で、信長の目を気にしなくてもよくなった時期においても、家康が信康をふびんだと思ったり名誉回復をしたりしたこともない。  また、家康は六男の松平忠輝(のちに越後高田城主。伊達政宗の娘婿となったが、乱行のために流罪にされた)について、「面貌怪異で三郎(信康)の幼い頃に似ている」といって嫌ったといっている。「信康については、幼い頃に無事に育ちさえすればいいと思って放任したので、成人してから教え諭しても親を敬わず、不仲となり悲劇を招いた」としている。  こうしたことは、信康の同母妹である亀姫の子・松平(奥平)忠明が編纂に関与したとされる『当代記』にすら書かれていることだから、家康は信康の育て方を誤ったことは悔いているが、切腹させたことは悔いていなかったことは確実だ。 平和主義の理想を 戦国ドラマに持ち込むNHK  一方、信康が勇猛な武将としての才能があり、それを慕う家臣がいて、家康派に対する信康派が形成されていたのも事実だ。  これは、ひとつには、ケチで慎重な家康よりも、豪放で情に厚い信康のほうが、たとえ粗暴でも戦国時代の武士には好まれたこともあるし、次世代に懸けたい若い武士などが集まるということもある。  のちに、関白・豊臣秀次が失脚したのも、秀次の周囲に秀吉家臣団ジュニアとか、若い大名が集まって、世代交代を期待する勢力となり、彼らの若さが故の浅知恵で秀次が軽率な振る舞いをして秀吉を激怒させたのが主因のひとつだった。  武田との内通は、瀬名については根も葉もないことではなさそうだし、信康も知らなかったわけでもあるまい。大河ドラマでは瀬名は岡崎に移ってからも家康と良い関係にあり、武田との接触は事実だが、それは織田や武田を巻き込んだ包括的な平和を実現しようという意図から出たものだったことにしたいらしい。だが、NHKが日本国憲法前文的な平和主義の理想を戦国ドラマにまで持ち込むのはいかがなものかと思う。  家康と瀬名との関係は、桶狭間の戦いの後、良かったことは一度もなさそうだ。なにしろ、岡崎城に入れずに、郊外の別邸に住ませていたのがすべてを物語っている。両親である関口親永夫妻が、瀬名たちが三河に移ると同時に今川氏真から死に追いやられたことや、瀬名が今川義元のめいであることについては諸説あるが、瀬名が今川一門であり、両親がみじめなことになったのは間違いない。瀬名が織田に乗り換えた家康を恨んでいたのも間違いない。瀬名が、信康への代替わりを策すのは、至極当然のことだった。  信康を切腹させようといったのが、信長なのか家康なのかについては、信康は信長の娘婿だったのだから、家康が排除せざるを得ないと信長に相談し、信長は「家康の思い通りにせよ」と答えたと考えるのが自然だろう。なお、このあたりのさまざまな推理は、拙著『令和太閤記 寧々の戦国日記』で行っている。 信康事件で注目すべき 家康と信康の年齢差  この信康事件について、今回、あまりされてこなかった視点を、提供したい。それは、家康と信康の16歳という年齢差についてである。  徳川家康は、1543年の生まれで、信康は1559年の生まれである。これは、戦国時代といえども異例の若さだ。織田信長と信忠が24歳差、今川義元と氏真が19歳差である。徳川家は、家康と父親の広忠が17歳差、広忠と広忠の父である清康とは15歳差だから、代々、早熟、かつ、子だくさんの家系である。  このような年齢差の少ない父子であると、どうしても兄弟に似たような関係になりやすく、父子がライバルになることが多いようにみえる。  家康は側室でもない下働きのお万(「どうする家康」では松井玲奈が演じている)に手をつけたところ、男子が生まれた。たが、家康は、自分の子かどうか確信がなかったらしく、のちに福井藩主・結城秀康となるこの子との父子対面を渋った。それを、信康が哀れんで強引に父子対面をさせたというエピソードがよく知られているが、このあたりも年齢差の小さい父子ならではである。当然、城内にも入れてもらえず、正室にふさわしい扱いをされていなかった母親の処遇などについても、意見をいっていたであろう。  これと関連して、戦国武将の初婚年齢を見ると、徳川家康が14歳(諸説ある)、織田信長が15歳、今川義元18歳、武田信玄13歳などである。徳川信康と五徳はそれぞれが9歳の時に結婚しているが、最初の子が生まれたのは18歳である。  このあたりになると、結婚というより、養女にもらって育てて結婚させるイメージだ。徳川秀忠の次女の珠姫は3歳で前田利常と結婚して14歳で第1子を出産しているが、この場合は半ば徳川家から前田家への人質ともいえる。  秀忠の長女の千姫が豊臣秀頼と結婚したのは、7歳の時だが実質的な夫婦関係の成立は16歳の頃のようだ。もし、二人に子どもが生まれていたらさまざまな妥協案もあり得ただろうが、大坂冬の陣開戦までには2年しか時間がなかった。  また、足利将軍と徳川将軍のうち、父親から直接に将軍位を引き継いだ将軍と父親との年齢差を調べてみると、足利将軍では、尊氏と義詮が25歳差、義詮と義満が23歳差、義満と義持が28歳差、義政と義尚が32歳差、義澄と義晴が31歳差、義晴と義輝が25歳差である。  徳川将軍では、家康と秀忠が36歳差、秀忠と家光が25歳差、家光と家綱が37歳差、吉宗と家重が28歳差、家重と家治が25歳差、家斉と家慶が20歳差、家慶と家定が31歳差である。 前田利家夫人は満11歳で懐妊 戦国時代の結婚が10代半ばだった理由  一方、女性のほうの初産年齢を見ると、ダントツで早いのは、前田利家夫人のまつで13歳。つまり、満年齢にして、かつ妊娠期間を考えると満11歳の時に懐妊したことになる。この夫婦はいとこ同士で、まつは前田家に住んでいた。利家が手をつけてしまったわけだが、この年齢は当時でも非常識だった。  そのほかは、前述の前田利常夫人、その妹の松平忠直夫人(秀忠の三女)、山内忠義夫人(松平定勝の娘)が15歳。  松平広忠夫人の於大(水野家出身で家康の母)、九条忠栄夫人(完子。豊臣秀勝と浅井江の娘で淀殿の養女)、武田信玄夫人(公家の三条家の娘)が16歳。細川忠興夫人(明智光秀の夫人、ガラシャ)、後水尾天皇の中宮和子(徳川秀忠の娘)が17歳。前述の徳川信康夫人の五徳、奥平信昌夫人の亀姫、それに宇喜多秀家夫人の豪姫(前田利家の娘で豊臣秀吉の養女)が18歳である。  このあたりを見ると、満14歳から16歳くらいになって、本人の発育具合も考慮して夫婦関係が始められたことが推測できる。  戦国時代のことだから、政略結婚の成果を早く出したいとか、男のほうからすれば早く跡取りをという意欲が強いとこういう感じになる。  一方、天下太平の徳川時代になると、あまり結婚を焦らなくなり、また、将軍家でも皇室でも、恵まれた育児環境のはずなのに、子どもが無事に成長する割合が著しく低くなる。なぜなのか、いろいろな仮定は可能だが、実際のところはよく分からない。  いずれにせよ、少子化に悩む現代の日本にとって、こうした歴史も何らかのヒントを与えてくれるのではないだろうか。 (徳島文理大学教授、評論家 八幡和郎)

京都に観光客殺到でオーバーツーリズムの恐怖、JR東海が打ち出す「仏頼み」の奇策とは?

外国人観光客が急速に戻っている。日本政府観光局(JNTO)が5月17日に発表した4月推定値によれば、訪日外客数(入国外国人旅行者)は194.9万人で、前年同月の約13倍、コロナ前の2019年同月と比較しても66.6%に達する数字だ。インバウンドが戻りつつある中、日本最大の観光都市京都はどうなっているのか。5月25日から26日にかけて行われたJR東海の京都キャンペーンプレスツアーに参加し、京都の観光事情の現状を視察してきた。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也) 仏教にとどまらなかった 空也上人の偉業  今回参加したのは1993年に始まった、30年の歴史を持つ「そうだ京都、行こう」の2023年夏キャンペーン「あなたは、どの仏像から入りますか?」の体験ツアーだ。テーマに沿って空也上人立像が安置されている六波羅蜜寺、1000体の観音像が立ち並ぶ三十三間堂、みかえり阿弥陀の永観堂禅林寺などを巡った。  旅行記事は当連載の趣旨とは異なるが、招待いただいたJR東海の手前、ツアーで筆者が特に感銘を受けた空也上人立像の話だけ書かせてもらおう。  空也上人立像は口から6体の仏像が飛び出るユニークな姿で知られ、教科書やテレビなどで目にしたことがあると思うが、間近に見るとさらに鮮烈な印象だ。衣の質感、痩身ながら引き締まった筋肉、手の甲に浮いた血管まで精緻(せいち)に彫り込まれた姿は圧巻の一言。  空也本人の足取りは、それに劣らず伝説的だ。空也像は鎌倉時代の作だが、空也上人は平安時代中期の僧で、仏教が出家僧の修行のためのものであった時代に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば浄土に行けるという念仏信仰を大衆に説いた(これは後に浄土宗へと発展する)。  空也像の口から出る6体の仏像は「南無阿弥陀仏」の6文字を意味しており、彼が念仏を唱えると阿弥陀如来に姿を変えたという伝説を表現している。音を可視化した立像は世界的にも珍しいという。  しかし空也の業績は仏教にとどまらない。平安前期(700~800年代)は富士山、阿蘇山、鳥海山などが噴火。東日本大震災と同じ震源域で発生した同規模の地震とされる貞観地震など大規模自然災害が多発。また天然痘の流行などパンデミックに見舞われた激動の時代であった。  空也が生きた900年代も京都で繰り返し大きな地震が起きており、災厄を恐れる貴族や大衆の間には不安が蔓延(まんえん)していた。今の私たちにも通じる部分があるのかもしれない。そんな中、京都で再び疫病が蔓延。多くの人が病に倒れ、道端には死体があふれた。京で献身的に介護をしながら仏教を説く空也に、朝廷は疫病への対処を依頼した。  科学技術が発達していない時代、呪術的なもので災害や疫病を鎮めようと試みる例は珍しくなかったが、彼の対処は極めて科学的だったといわれている。彼は町中の井戸を埋め、新たな井戸を掘った。また遺体を山奥に放置する自然葬を火葬に改めるなど、感染経路を断つ「公衆衛生」を推進。そして同時に、弱り切った心を支えるための念仏を民に授けて回った。  この他にも空也は各地を回りながら、寺院のみならず道路や橋などの社会インフラ整備に携わるなど、宗教家であると同時に優秀なシビルエンジニアだったとされる。彼の没後250年に作られた空也像が、あたかも生身の彼を精緻に写実したかのような存在感を持つのは、彼の偉業が鎌倉時代まで伝わり続けたからに他ならない。 中国人観光客の増加で 懸念されるオーバーツーリズム問題  そんな先人たちが作り上げてきた京都に到来したパンデミック、新型コロナウイルスも3年が経過してようやく日常への道筋が見えてきた。冒頭に記した通り、既に人出はコロナ前の3分の2まで戻っており、今回のツアーでも駅、通り、観光地の至るところでさまざまな人種の観光客を目にした。  ただし、全ての国・地域からの観光客が同じように戻っているわけではない。  コロナ以前の訪日外客は中国、韓国、台湾、香港の順に多く、東アジア4地域で全体の3分の2を占めていた。  このうち韓国は2019年比82.4%の約46.7万人、台湾が同72.3%の約29.2万人、香港が同78.8%の約15.3万人と回復傾向にある(ただし2019年の韓国は対日感情の悪化で旅行者は減少していた)。またアメリカ、シンガポール、インドネシアなどはコロナ前を上回っている。  これに対し、中国に対して行われた新型コロナ水際対策(入国規制)の対抗措置として日本向け団体旅行客を制限している中国のみ、同14.9%の約10.8万人と、一人出遅れている。ただ昨年末と比べると人数は3倍に増加しており、5月8日に水際対策を解除したこともあいまって、5月以降は急速に回復する見通しだ。  そんな中国人観光客が多く訪れていた都市の一つが京都だ。京都市観光協会によれば2019年に京都で宿泊した訪日外国人のうち中国は30.8%、その他アジアの計21%を大きく上回る旅行者が訪れていた。既に狭い歩道は外国人旅行者が長い列を作っていたが、最大のボリュームを持つ中国人観光客の上積みが残っているというのは、頼もしくも恐ろしくもある。  コロナ前の京都が直面していたのが「オーバーツーリズム」問題だ。これは観光客の著しい増加が混雑など観光客自身の満足度低下につながるとともに、地域住民の生活に悪影響を及ぼす状況を指す言葉だ。  一方で2019年に観光客が京都市内で使った金額は1兆2367億円で、これは市民の年間消費支出81.3万人分(市民の55.4%)に相当する。観光による税収効果も市税収入の12.8%にあたる390億円、観光による雇用効果は雇用者の5人に1人となる15.3万人に達するなど、観光は京都にとって欠かすことのできない主力産業でもある。 JR東海が京都キャンペーンで 「仏像」を前面に打ち出した理由  これを両立させるため、京都市は2018年頃から本格的にオーバーツーリズム対策に乗り出したが、期せずして訪れたコロナというインターバルで取り組みを加速させた。何といっても必要なのは旅行者の分散だ。京都は清水寺や金閣寺、伏見稲荷といった定番観光スポットがあり、春・秋の人気シーズンにさらに集中する。  人気があるものを「見るな」とは言えないが、比較的混雑していない季節、曜日、時間帯などを発信する取り組みや、多様なエリアの魅力ある「隠れた名所」を積極的に発信するなど、訪問先の分散を図りつつ、新たな観光資源を開発する取り組みが進められた。  今回、JR東海のキャンペーンについても、これまでは最も人気のある春の桜、秋の紅葉のシーズンを打ち出すことが多かったが、混雑の分散を図るためにオフシーズンとされる5月から夏頃まで、季節に関係ない「仏像」を打ち出すことにしたそうだ。  またオーバーツーリズムの象徴として、しばしば取り上げられるのが京都市バスの混雑問題だ。京都~銀閣寺ルートの最混雑時間帯はコロナ前、1台当たり平均140人以上が乗車、混雑率でいえば200%以上というバスではありえない数値に達していたといい、地元住民が利用できないといった声が多く寄せられてきた。  そこで京都市は、今年中に700円乗り放題の「バス1日券」を廃止し、1100円の「地下鉄・バス1日券」へシフトを図る。バスを不便にすることで解消するのは交通事業者としては望ましい選択肢ではないが、運転手の担い手不足も深刻化する中で、俯瞰(ふかん)的、総合的観点から解決していかなければならないだろう。  来年春までには、訪日外客数がコロナ前の水準を回復するとの予測もある。コロナという雌伏の時を乗り越えて生まれ変わった京都の姿を示せるのか、あるいは元の木阿弥(もくあみ)に戻ってしまうのかに注目したい。

職場にいる「考えが深い人」と「考えが浅い人」の決定的な差とは

近年、「頭の回転の速さの象徴」としてお笑い芸人が多くの場面で活躍をしている。そんなあらゆるジャンルで活躍をし続けるお笑い芸人たちをこれまで30年間指導し、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも話題になった伝説のお笑い講師・本多正識氏による『1秒で答えをつくる力 お笑い芸人が学ぶ「切り返し」のプロになる48の技術』が発刊された。ナインティナインや中川家、キングコング、かまいたちなど今をときめく芸人たちがその門を叩いてきた「NSC(吉本総合芸能学院)」で本多氏が教えてきた内容をビジネスパーソン向けにアレンジした『1秒で答えをつくる力 お笑い芸人が学ぶ「切り返し」のプロになる48の技術』より、本文の一部をもとに仕事に関する本多氏の考え方をお届けする。 「考えが深い人」と「考えが浅い人」の決定的な差  これまで多くのビジネスパーソンやお笑い芸人を見てきました。その中には「考えが深い人」もいれば、「考えが浅い人」もいました。  お笑いの世界に限っていえば、「考えが浅い人」は生き残っていくことは難しく、もしかするとそれはビジネスの世界も同じかもしれません。  このことを踏まえて、NSC(お笑い養成所)の授業でも最初に教えることは「考えること」についてです。つまり、自分の芸や人の芸の何が良くて、何が悪いのか、お客さんはどんなことを求めているのか、嫌になるくらい考え続けなければ売れるのは難しいという話です。  この「考える」ことができない最大の弊害は、成功にしても、失敗にしても「なぜ、そうなったのか」の分析ができないため、仕事に再現性が出ないことです。つまり、いつまで経っても行き当たりばったりの運任せな働き方になってしまい、積み上げができないのです。  逆に要因・原因を論理的に考えることができると芸に再現性が出てきて、どんな場面でも、調子の波が少なく、常に力を発揮することができます。なぜなら、「どうして、自分たちのネタがウケたのか、もしくはスベったのか」の理由がわかるので、成功はそのままに失敗の修正ができるからです。  たとえば、 「お客さんはどうして笑ってくれたんだろう?」 「ボケが良かったからかな?」 「ボケのどこが良かったんだろう?」 「わかりやすかったところなのでは?」 「それとも言い方で笑ってくれた?」 「次はもう少し言い方に特徴をつけてみよう」  と考えをどんどん深めていくことで、復習と同時に次の仕事に向けての仮説を立てることができます。仕事の質が向上していくのは言うまでもないでしょう。  ちなみに、かつての教え子でこの「考える」ことをしつこいくらい繰り返していた芸人がいました。 徹底的に「考え続けていた芸人」とは?  それは天竺鼠の川原くんです。ナスの被り物がトレードマークの人気芸人です。彼はすぐには理解できないようなハチャメチャなネタをすることで有名で、世間一般では行き当たりばったりの破天荒な芸をしていると思われがちです。  しかし、実際は誰よりも論理派であり、舞台裏で徹底的に考え抜くタイプであるのは有名な話です。彼が生徒だった頃も意味不明なネタがほとんどでしたが、ネタの理由を聞くと、ちゃんと自分の世界「天竺ワールド」を持っていました。行き当たりばったりではなく「飛んだネタでも、どこまで理解してもらえるのか」のボーダーラインを知るためにネタをしていました。  つまり、講師である私はボーダーラインを知るための実験台にされていたのです。ひたすら「考えること」を続ける川原くんだからこそ今や人気芸人のひとりになれたのでしょう。  かく言う私自身も、駆け出しの頃は、分析が甘く、なんとなくおもしろそうだからと場当たり的にネタを考えていたことがありました。そのため、仕事のクオリティに波があり、安定感を出すのに苦労しました。  そのことに気がついてからは、調子の波をなくすために多くの漫才師のネタをビデオやカセットに録音してひたすら分析をして、「笑いのパターン」について考え続けました。大変でしたが、お笑いで飯を食っていく「プロの仕事」だと自分に言い聞かせました。 「考える」ことがクセづくと、これまで漠然と感じていたことにもしっかりとした理由があることに気がつくはずです。どんな仕事をするうえでも、それは大きなアドバンテージです。

「まったく仕事ができない人」に共通する、たった1つの特徴

仕事ができる人に限って、やるべき仕事や責任が格段に増える。若手メンバーの模範として働きつつ、若手の育成や業務管理など、プレーヤー時代とは異なるタスクが多く発生し、はじめは「何から手をつければいいのだろう…」「やるべきことが多すぎないか…」と戸惑ってしまうだろう。 そんな悩めるプレーヤーたちにおすすめの書籍が、株式会社識学の代表取締役社長・安藤広大氏の著書『とにかく仕組み化』だ。これまでのシリーズ『リーダーの仮面』『数値化の鬼』でも「やるべきことが10分の1に減った」「まわりと圧倒的な差をつけられた」「何度読み返しても言葉が深く刺さる」など、多くの賛同の声を集めた。そんな大人気シリーズ最新刊の本書では、「人の上に立つためには『仕組み化』の発想が欠かせない」というメッセージをわかりやすく説く。 本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、「ぜんぜん仕事ができない人」に共通する“たった1つの特徴”をご紹介する。(構成/種岡 健) 「属人化」ほど怖いものはない  仕事ができる人の根底には、「仕組み化」の考え方が浸透しています。  では、仕事ができない人はどうでしょうか。 「仕組み化」の反対は、「属人化」です。  属人化とは、その人にしかできない業務が存在してしまっている状態です。  たとえば、仕事ができる人は、「できない人」の気持ちがわかりません。  何を隠そう、昔の私はそのタイプでした。  以前の私は、「部下側の能力」に問題があり、「会社側の仕組み」に原因はないと思い込んでいました。  しかし、チームのメンバーが成長しなかったのは、「組織を運営している管理職や経営者に100%責任がある」という事実に気づいてしまったのです。  もちろん、それまでの私は、部下の成長を止めようと思って日々を過ごしたわけではありません。  自分なりに必死で、部下にも成長してほしいと思い、「よかれ」と信じていた行動が間違っていたのです。  世の中の経営者や管理職は、きっと当時の私と同じような勘違いをしていると思い、私は2013年に独立をし、いまの会社をつくりました。 属人化の「リスク」を知る  仕組み化がなく、人に依存する組織があります。 「ウチの会社は、優秀な人が集まっている」  その瞬間は、別にいいかもしれません。  しかし、その中で特に優秀な人が辞めたらどうなるでしょうか。  1人が辞めることでガクッと売上が落ち込んでしまうでしょう。 「優秀な人」がいることが、「優秀な組織」であることとイコールではありません。  むしろ、逆です。 「優秀な人が不在でも、チームとして機能することで勝てる組織」  それが、優秀な組織です。  普通の人の集まりでも、「当たり前のこと」をやれば勝てます。  もしいま、1人の社員にオペレーションが依存している状態にあるのであれば、その状況は変えないといけません。  その人が退職するとオペレーションが回らなくなってしまう、という状況はマズいのです。  ある業務が、1人部署でおこなわれていて、その人が休んだりすると、誰も業務がわからなくて、休みが明けるのを待つ……。  そんなことがないでしょうか。  属人化はリスクです。  一時的にうまくいっていても、やがて停滞します。 「仕組み化」が機能した会社とは?  たとえば、会社の営業成績で考えましょう。  初年度に、営業の全員の順位が出ます。  その後、2~3年後も、同じ順位のままだったとしたら、その組織はマズい。  最初は下位グループだったのに、努力によってトップにまで上り詰めたり、逆に、最初は優秀でもサボると追い抜かれたりしていく。  本来であれば、それが組織として、きちんと機能している証拠です。  しかし、それが起こらないとなると、組織が属人化に陥っている状態です。  組織側の「仕組み」の問題と考えざるをえません。 「仕事ができる人かどうか」を試す質問  では、最後に「質問」です。 質問:あなたの仕事を誰かが「引き継ぎ」できる状態でしょうか?  いかがでしょう。  あなたが休みになったとき、仕事が滞らないでしょうか。 「休みの日でもメール対応できるから」という状況は、属人化を生みます。  いざというときに、他の人が引き継げるように、「マニュアル」をつくっておくことです。 「何をすればいいのか」を言葉にしておくのです。  それができるということは、「人に教えることができる」ということですし、部下を育てたり、チームをつくったり、仕組みが整えられるということ。  その一歩目として、自分の仕事を「引き継げるようにしておく」ということは、とても重要です。  同じように、部下の仕事も、引き継げるようにしておくことです。  誰が退職してもいいようにしておくのは、リスクを回避する上で大事なことです。  つい、後回しにしてしまいがちですが、最初に取り組みましょう。 (本稿は、『とにかく仕組み化』より一部を抜粋・編集したものです)

愛知のニュータウン新交通「ピーチライナー」が残念すぎる末路を迎えた理由

わずか15年半しか営業できなかった上に、撤去に約130億円の費用を要する愛知県小牧市郊外の宅地の一角にある、「ピーチライナー」こと桃花台(とうかだい)新交通・桃花台線。人口230万人を擁する名古屋市の30km圏内で、巨大なニュータウンの足となるはずだった鉄道は、なぜ短期間でその使命を終えたのか。(乗り物ライター 宮武和多哉) 開業15年で廃止の桃花台新交通「ピーチライナー」 巨大ループ橋が間もなく撤去  愛知県小牧市郊外の宅地の一角にある、「ピーチライナー」こと桃花台(とうかだい)新交通・桃花台線の「巨大ループ橋」の撤去が、間もなく行われる。  人口2.2万人を擁する「桃花台ニュータウン」の足として建設されたこの鉄道は、ほぼ全線でコンクリートの高架橋の上を走行していた。運転席が片端にしかない車両は、終点の桃花台東駅で乗客を降ろした後、高さ約20m、直径約10mの巨大なループ橋をひと回りして方向を変えていた。  2006年にピーチライナーが全線廃止となった後も、設備の撤去を巡る費用分担の議論が定まらず、高架や駅などのほとんどが放置されてきた。近年ようやく撤去作業が本格化したものの、周囲を高層住宅に囲まれたループ橋の解体が始まるまでに、撤去の決定から8年もの歳月を要した。  23年春には鋼製橋桁がクレーンで地上に下ろされ、残された「C」の字状のカーブの部分も、間もなく撤去されるとのこと。現在では記念撮影に訪れる人も多いという。  ピーチライナーの開業は1991年。15年半しか営業できなかった上に、撤去に約130億円の費用を要すること、そもそも鉄道建設が誤算だったことは明らかだ。人口230万人を擁する名古屋市の30km圏内で、巨大なニュータウンの足となるはずだった鉄道は、なぜ短期間でその使命を終えたのか。 通勤に使えない、沿線開発できない、発展しない ピーチライナーの“三重苦”  計画では1日3万人の利用が見込まれていたピーチライナーは、実際には1日2000~3000人ほどの利用しかなかったという。最大の原因は、名古屋方面への通勤客をほとんど取り込めなかったことだ。  ピーチライナーが接続していた名古屋鉄道小牧線は、03年までは上飯田駅止まりで、名古屋市内に向かう路線に接続していなかった。市内に向かうには、地下鉄名城線・平安通駅まで1km弱歩くなどして、さらに他の路線に乗り継ぐ必要があった。要するに、通勤手段としては、あまりにも不便過ぎたのだ。  また、桃花台ニュータウンは300ヘクタールもの丘陵地を造成した街であるにもかかわらず、ピーチライナーの駅は少なく、駅への移動経路は起伏が多かった。廃止が検討され始めた頃の調査では、住民で「ピーチライナーを利用する」と回答した人はわずか6%しかいなかった。駅から遠い住人のほとんどが「移動手段はマイカー」だったという。  そして、ニュータウン計画そのものも不調だった。71年の計画発表当初は5.4万人が住むはずだったが、最盛期でも2.8万人にとどまった。石油危機(オイルショック)による景気低迷を受けて、2度にわたる大幅な計画縮小を余儀なくされたものの、83年に訂正された「計画4万人」にすら届かなかったのだ。  さらに、ピーチライナー不調の原因として「周辺自治体の無策」が挙げられる。同路線は愛知県と小牧市で300億円以上かけて建設開業したものだが、経営維持のための「次の一手」を考えていた痕跡がほとんど見当たらない。  一般的な鉄道路線なら、途中駅の土地区分を建設した上で、マンションや商業施設などを誘致して鉄道利用につなげていく。しかしピーチライナーの場合は、途中駅(東田中駅、上末駅など)の周りは土地区分が「工業地域」のままで、鉄道を利用しそうにない物流企業ばかりが誘致された。  また、鉄道を建設した愛知県も小牧市も、ピーチライナーの具体的な集客には消極的だった。沿線の小牧総合運動場や名古屋経済大学、私立誉高等学校は駅から1~3km離れていて、「どうやったら利用してくれますか?」という呼びかけが行われたのも、かなり後になってから。そして最後までバリアフリー整備ができず、高架上の駅ホームへ移動するのに階段昇降が必須のため、「高齢者の移動手段」としての存在意義は、ほぼなかったと言っていい。 地下鉄と乗り継ぎ可能となり乗客増加 運賃「値下げ」するも起死回生ならず  1日3万人の利用計画のずさんさも、後に明らかになった。名古屋市内への移動で、JR中央本線・春日井駅経由での移動が想定されていなかったのだ。  実際に春日井駅経由で移動する人が、当時は1万人以上いたといわれる。桃花台ニュータウンの住民団体や自治会は、バス路線の開設を要望したが、「ピーチライナーがあるから」との理由でなかなか認可が下りなかった。ピーチライナーの存在は「不便」「赤字を生む」だけでなく、「必要なバス路線開設の障害」にすらなっていたのだ。  03年には上飯田駅~平安通駅間の地下鉄路線が開業し、1km近い徒歩乗り換えが解消されたことで、乗客は大幅に増加した。同時期、運賃の値下げ(小牧~桃花台東間を350円から250円に値下げ)に踏み切り、起死回生で立ち直るかにみえた。ところが、乗客増加は運賃値下げと相殺され、経営の改善にはほとんどつながらなかった。  経営改善のラストチャンスを逃した愛知県と小牧市は、この後に控えていた車両や機器類の設備更新に必要な資金投入を拒否した。こうして廃止が事実上決定した。 典型的な「ビジョンなき鉄道の失敗例」 今なら撤去が進む遺構を見学できる  撤去が進められているピーチライナーの遺構を遠くから眺めていても、「エレベーターもない高架上の駅、誰が利用する想定だったの?」「駐輪場もクルマ送迎のロータリーもないのに、どう利用促進しようと思ったの?」「空いた土地に何か誘致しようと考えなかったの?」などと首をかしげざるを得ない。  典型的な「ビジョンなき鉄道の失敗例」ともいえる数々の遺構を、ウォーキングがてら眺めに行くのもいいだろう。なお、小牧駅の南側にあったループ橋も、23年4月時点で撤去工事が進んでおり、こちらも間もなく姿を消す見込みだ。

仕事がしんどくても「メンタルを病まない人」がやっていること

「読者が選ぶビジネス書グランプリ2023」でビジネスパーソンから圧倒的な支持を受け、総合グランプリとビジネス実務部門賞のダブル受賞という快挙を成し遂げた『佐久間宣行のずるい仕事術』。人気プロデューサー・佐久間宣行さんが20年以上かけて磨いてきた「誰とも戦わずに、好きなことで、効率的に成果を出す方法」を伝授する本書には、「これはヤバい、めちゃくちゃ面白い」「心の支えになる『お守り』みたいな本」「自分史上ナンバーワンのビジネス書になった」と絶賛の声が多く寄せられており、仕事で悩む同僚や部下にそっとこの本を渡す人が増えているという。 そこで受賞を記念し、その悩み「佐久間さんに聞いてみよう」をテーマに、仕事にまつわる悩み・質問を大募集。本連載では、読者から寄せられた質問に佐久間さんが答えた、職場の人間関係やメンタルの改善、就職・転職活動に今すぐ役立つ「ずるい仕事術」を公開します。(構成/根本隼) Q. 長年同じ部署にいて、やりがいを見失いました 質問者:30代女性 ――現在、システムエンジニアとして東京都内で12年働いています。ずっと同じ部署にいるため、ここ数年は、何を目標にして仕事を頑張ればいいのかわからなくなってしまいました。  「目の前の仕事をこなせばいい」と割り切ればいいのかもしれませんが、ついやりがいを探してしまいます。同じ場所で長く働く中で、どうやって目標を見つければよいか教えてください。 他人と比較しなくていい「自己完結型」の目標を立てよう 佐久間さんからの回答↓   確かに、10年以上も同じ部署にいると、モチベーションを保つのは難しいかもしれないですね。  やりがいを感じ続けるには、日々の仕事の中で改善を実感できる「中期的な目標」を自分なりに立てるといいんじゃないかなと思います。  これは高尚な目標である必要はなくて、たとえば「仕事を早く終わらせて、退社のスピードを速くする」というような個人的な内容でも大丈夫です。  とにかく、自分と他人を比較しなくていい「自己完結型の目標」が見つかると、同じ場所で働く上でのモチベーションを長期間維持できますよ。 メンタルを病まずに働き続ける秘けつとは? 佐久間さんからの回答(続き)↓  僕が一時期ADの仕事に飽きたときは、会議の5分前に手ぶらで出社しても問題ないように、あらかじめ完璧に手はずを整える「手ぶら準備選手権」的なことを自分1人でやっていました(笑)。  どういうことかというと、会議前日に事前の指示出しや準備をすべて済ませておいて、当日はディレクターより遅く、しかも手ぶらで出勤しても大丈夫なようにしていたんです。  そんな感じで、僕はできるだけ仕事を効率化して、「手を抜けるところは徹底的に楽をする」ことにモチベーションを見出していました。  そう考えると、「自分の時間を自分でコントロールできている」という感覚を得ることも、ストレスフリーで働く秘けつなのかもしれないですね。 (本稿は、ダイヤモンド社の公式Twitterアカウントで募集した「あなたのその悩み、 佐久間さんに相談してみませんか?」キャンペーンに寄せられたお悩みをもとにした『佐久間宣行のずるい仕事術』グランプリ受賞記念連載です)

【精神科医が教える】 「いつでも真面目に取り組む」のは二流…思わぬ効果を得られる意外な方法

誰しも悩みや不安は尽きない。寝る前にイヤなことを思い出して、眠れなくなるなんてことも……。そんなときの助けになるのが、『精神科医Tomyが教える 40代を後悔せず生きる言葉』(ダイヤモンド社)だ。ゲイのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症……苦しんだ末にたどり着いた、自分らしさに裏づけられた説得力ある言葉。心が落ち込んだとき、そっと優しい言葉を授けてくれる。Voicy「精神科医Tomyきょうのひとこと」の“言葉の精神安定剤”で、気分はスッキリ、今日がラクになる! 言ったことは守らないといけない? できないことは口にしないほうがいいというのは正論ですが、なにもかも真面目一辺倒で言行一致させようと思い詰めると息苦しくなるものです。ときには安請け合いすることがあってもいいと思うんです。 精神科の診察で、依存的な傾向が高い患者さんには、守るべきルールを決めておかないといけません。しかし、そういう患者さんは、「ルールを守れないんじゃないか」という不安感が根強いもの。 精神科医は、それを守らせようとするわけですが、やはり守れない人も多いです。そして、周囲を振り回して迷惑をかけてしまうこともあるんですね。 あえて“安請け合い”してみる そこで、ときにはこんな対処の仕方もあるんです。「何を起こしてもいいから、困ったことがあったら、またいつでもいらっしゃい」と、あえて安請け合いするのです。 そうすることによって患者さんは安心します。そして、患者さんの不安感が緩和されて、安定した治療が続けられるようになる経験を何度もしています。 つまり、自分の身を守ろうと防衛的になると、相手がなんだか不安定になったり攻撃的になったりしやすいわけです。 「なんとかなる」の底力 そういうときに、相手にもよりますけれど、「何か起こっても、とりあえずな私は向き合いますよ」みたいなメッセージを伝えることによって不安感が拭えて、結局は丸く収まることが多いんです。 「なんとかなるだろう」と思っているふりをするだけでも、けっこう効果があります。「些細なことは、気にしなさんな。まあ、なんとかなるよ」と自分に言い聞かせる。それを相手にも伝える。 真面目にとらえすぎない もちろん、本当は大丈夫かどうかわからないのですが、それを真面目に真正面からとらえなくてもいいんです。よくよく考えずに、ときには勢いで安請け合いしてみることがあってもいい。 なんでもかんでも安請け合いするわけにはいきませんが、たまには必要だし、重要だと思うんです。 ※本稿は『精神科医Tomyが教える 40代を後悔せず生きる言葉』(ダイヤモンド社)の著者が日々お届けする“心のサプリメント”です。

「管理職失格な人」に共通する、たった1つの特徴

人の上に立つと、やるべき仕事や責任が格段に増える。メンバーの模範として働きつつ、部下の育成や業務管理など、プレーヤー時代とは異なるタスクが多く発生し、はじめは「何から手をつければいいのだろう…」と戸惑ってしまうだろう。 そんな悩めるリーダーたちにおすすめの書籍が、株式会社識学の代表取締役社長・安藤広大氏の著書『とにかく仕組み化』だ。これまでのシリーズ『リーダーの仮面』『数値化の鬼』でも「自分のやるべきことが見つかった」「日々の仕事に役立ちすぎる」「何度読んでも言葉が深く刺さる」など、多くの賛同の声を集めた。そんな大人気シリーズ最新刊の本書では、「人の上に立つためには『仕組み化』の発想が欠かせない」というメッセージをわかりやすく説く。 本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、「管理職失格な人」に共通する“たった1つの特徴”をご紹介する。(構成/種岡 健) 「全員の納得」という呪縛  人の上に立つようになると、新しいことを決めることが求められます。  新しいルールを決めることが増えるでしょう。  そして、新しい仕組みを取り入れるとき、必ず反発が起こります。  政治でも、100%全員が満足できる政策はありません。  どこかで「線引き」が必要になります。  会社での判断軸は、1つです。 「ちゃんと成長したい人が成長できるかどうか」  それだけです。  長く働き、既得権益を持っている人は、ルールが「曖昧」なほうが都合がいいはずです。組織が変わらないほうが居心地がいい。  そこにメスを入れるのが、経営者や管理職のように「人の上に立つ人がやるべきこと」です。 「成長を諦めた人」に負けるな  会社組織の中には、「成長を諦めた人たち」もいるかもしれません。  そういう人たちからの反発に負けないでください。  活躍する人が辞めるような組織にしないでください。 『ビジョナリーカンパニー』という名著に、「誰をバスに乗せるか」というテーマがあります。  メンバーを決めて、バスはとりあえず進みます。  そして、次がポイントです。 「不適切な人にはバスを降りてもらう」というのです。  乗せた全員が納得する目的地を決めることは不可能です。  バスが前に進むにつれて、降りなければいけない人が出てくることは、仕方のないことなのです。 「ここにいれば成長できる」という、意欲の高い人が残り続けるようにする。  その判断を間違えないようにしましょう。 ビジョンやパーパスも「仕組み」である  いわゆる、「ミッション、ビジョン、パーパス」など、組織に必要な概念には、どんどん新しいものが現れます。  しかし、本質は変わりません。  組織における価値観は当然あります。  それは、「企業理念」に紐づきます。  そういった、「抽象度の高いことを考えること」と、「今日一日にやる仕事のこと」は、いったん切り離して考えるべきです。  もちろん向かっている方向性が同じであることは大前提です。  それを理解するために、「仕組み化」の重要性を、ぜひ理解してください。  きっと、「企業理念」などの意味が深く浸透するはずです。  まずは今日一日の行動を、ルールに従って進める。  そのための「仕組み」をつくることからはじめましょう。  何かにつけて、ビジョンやパーパスを持ち出して、「いま、やる気の起こらない言い訳」「目の前のことから目を背ける理由」にするのはやめましょう。 「管理職失格かどうか」を試す質問  では、最後に「質問」です。 質問:あなたは「全員の納得」を得ようとしていないでしょうか?  いかがでしょう。  既得権益を持っている人は、ルールを曖昧にしておきたいものです。  成長を諦めた人たちも、頑張らない理由を欲しがっています。  そういう人たちからの反発に負けないようにしましょう。  全員の納得を公平に得ようとすることは、管理職失格の行動です。  そうならないためには、 「成長したい人のために決断をする」  というスタンスを貫くことです。そこでブレないようにしてください。 (本稿は、『とにかく仕組み化』より一部を抜粋・編集したものです)

残業はないのにメンタルがぐったり…誰もが憧れる「ホワイト企業」に入った人が抱える”つらさ”の正体

仕事がハードではない職場に入ったのに、長続きせず辞めてしまう人がいる。文筆家の御田寺圭さんは「ゆるい職場では、時間の流れが緩慢に感じられてしまう。充実感や成長の実感を得られない職場で冗長な仕事をこなす時間は、健康な人間のメンタルには堪えるものだ」という――。 「のんびり働ける職場」なのに長続きしない 仕事がゆるくて、のんびり働ける職場にせっかく入ったのに、長続きせずに辞める。 ――そんな人が近年じわじわと増えているという。実際、そうしたニュースを目にすることも増えてきた。 「いやいや、なんでそんなもったいないことをするんだ」と疑問に思われるかもしれない。しかしながら、そういったいわゆる「ホワイト企業(ホワイト部署)」に入った人でなければ分からないつらさが存在しているのだ。 前職がとんでもないブラック企業で、身も心もボロボロに摩耗してしまった人からすれば、転職先にはその心身のダメージをゆったりと癒やせる、のんびりとした雰囲気の、さながら温泉宿のような「ゆるい職場」はいいかもしれない。しかしながら、そうした特別な事情がない常人はほどなくして「ゆるい職場」に耐えられなくなっていく。 「もうハードな仕事はこりごりだ」 「スケジュールに追われる日々はもうたくさんだ」 そんな気持ちを抱えている人にとっては、たしかに「ゆるい職場」は魅力的に見える。実際のところ「ゆるい職場」では、山積みの仕事を片付けるために残業だらけになったり、パンパンに膨れ上がったスケジュールで目を回したりすることもない。ゆっくりとしたペースで、心身に負担なく、穏やかに日々の業務をこなしていく、そんな環境が用意されている。 「まだ始業から1時間しか経ってないのか……」 だが「ゆるい職場」はその“ゆるさ”ゆえに、時間の流れが緩慢になってしまう。 目まぐるしいスピード感も、業務のハードさもない。たしかにそれはまったりと心穏やかであるが、言い換えれば手持ち無沙汰で緊張感や張り合いのない時間が、体感的にとても遅く過ぎていくのをじっくり待たなければならないことも意味している。 とくにノルマも課せられていない、日々のルーチンワークをゆっくりとこなしている最中に時計をちらちら見るが、ほんの少ししか時間が進んでいない。「ええっ、まだ始業から1時間しか経ってないのか……」というじれったい気持ちを味わいながら勤務時間を送ることになる。 ブラック企業のように、険悪な人間関係のギスギス感はないが、しかし充実感も成長性も感じられない仕事場と業務内容で、のんびりとしたスケジュール感のもと、冗長な仕事をこなしていく時間は、健康な人間のメンタルにはなかなか堪えるものだ。 「仕事の拘束時間」が長く感じられてしまう そうした職場や部署に入社してすぐは「なんて楽な職場なんだ! 最高!」と心躍るかもしれない。だが、よほど労働に対してのモチベーションが低い無気力な人でもないかぎり、そう感じられるのはごく最初の期間だけだ。次第に状況は変わってくる。毎日の仕事に「ぎっしりと充満した感じ」「体や頭を精いっぱい駆使した疲労感と達成感」が欠如しているせいで、とにかく「仕事場にいなければならない拘束時間」として味わう時間が体感的に長く感じられてしまい、それが苦痛で苦痛で仕方なくなってくる。 ブラック企業ほどギスギスしていないが、チャレンジングでハードな仕事が次々と押し寄せる「ゆるさ」とは縁遠いタイプの職場、いわば「熱い職場」は、たしかに体力的にしんどいこともあるし、タフな状況に追われることもある。しかしながら、ほどよい張り合いや緊張感を持って身体をどんどん動かしていると、時間が過ぎるのはあっという間だ。 自分の力量では絶対に耐えられないくらいハイレベルな熱量を持つ職場に行くのはさすがに危険ではあるものの、自分からして「ここはちょっと熱いな」と感じるくらいのほどほどの熱量が保たれている職場を選んだ方が、「自分は仕事をさせられている」と感じさせられる主観的な時間は短くなるから、トータルで体感する「つらさ」は下回ることもよくある。 仕事で得るのは「安心感」や「金銭」だけではない だれもが憧れているはずの、リラックスした雰囲気で、業務負荷も軽く、ノルマなんかもってのほかで、人間関係もほのぼのとしている「ゆるい職場」を辞めてしまうというのは、傍から見ればどう考えても道理に合わないし、とてももったいないように思える。いったいなぜそんな人がいるのか? その理由は簡単で、私たちは仕事を通して「安心感」や「金銭」だけではなく「自分がここにいる理由」を欲しがるからだ。 ようするに、「なぜ自分がこの仕事をしているのか」「なぜこの仕事が存在しているのか」「自分がこの仕事をすることでだれに貢献できているのか」といった理由をこそ、私たちは仕事でぜひとも得たいと欲しているのだ。それはときに高い給与や充実した福利厚生よりもずっと重要で優先度の高い要素になる。 「金払いの良さ」はもちろんだが、近ごろ流行の「心理的安全性」もあるに越したことはない。あるに越したことはないのだが、しかしそれだけのために私たちは働いているわけではないし、働くモチベーションを得られるわけでもない。 仕事を通して得られる「共同体感覚」 ウェブメディアでこのようなことを書くのはたいへんにウケが悪く「お前はブラック企業の手先か」「やりがい搾取を肯定するのか」と言われかねないことは百も承知だが、それでも述べたい。むしろそれよりも「自分が仕事を通じて貢献している実感や証拠」を得られるような職場環境である方が、喜びや満足感や生きがいを感じられると。 私たちが仕事を通して欲してやまない「この仕事をしていることで、自分が直接的にだれか/なにかの役に立っているという実感」とはつまり“共同体感覚”のことだ。 その仕事が存在している理由がはっきりしていて、それを自分が遂行することで仲間や顧客に対する明確な結果(貢献)がフィードバックされる――そういう状況におかれると、その人は「自分がここにいる理由」をつねに供給されることになる。「ここにいる理由」が絶えず供給されると、それはその人の自己肯定感や実存的な存在感の向上をもたらす。 それなりにタイトなスケジュールで、積みあがるタスクをこなす毎日を送ることは当然ながらしんどい。しかしそのしんどさについて「仲間や関係者や顧客のためにこそある」ということを確信できれば、閉塞(へいそく)感や苦痛は感じにくくなる。さらには「自分はここにいてもいいんだ」「自分の頑張りを待ってくれている人がいるんだ」という気持ちが湧いてくる。 ある程度チャレンジングな方が「心地よい疲労感」を得られる ブラック企業のような相互不信的な人間関係では難しいが、ある程度に相互協調的で信頼感や安心感のある仲間と一緒にチャレンジングな仕事に取りかかれる職場は、労働負荷の点ではハードであるとしても、しかし「ゆるい職場」のように冗長で手持ち無沙汰な時間を味わわされることは少なく(どちらかといえば時間はあっという間に過ぎていく)、なおかつ生きがいや自己肯定感をセットにした「心地よい疲労感」を与えてくれるものになる。 「自分は仕事を通じてだれにも貢献できていないのではないか」「こんな仕事やってもやらなくても同じなのではないか」――という疑念がずっと消えない共同体感覚の欠如した職場環境は、たとえ絶対的な業務負荷量が軽く「ゆるい職場」だったとしても、しかし自分の内面にある自己有能感や自己肯定感をじわじわと蝕んでいく。暗くどんよりとした感情がまるで滓(おり)のように心の底にじわじわ堆積してくる。 “凡人”には「背伸びするくらい」の職場がいい とくに傑出したところもない、とりあえず体が健康であるくらいしか見るべきところがない凡人であると自負する人にこそ、なるべく「ゆるい職場」を避けてほしいと個人的には思っている。「ゆるい職場」は理想的に思えるかもしれない。それでもだ。 だからといって、自分の身の丈には合わない能力や負荷を求められるような職場に飛び込む必要はない。自分のコンディションやバイタリティをよく確認しながら、ほどよく「背伸び」をするくらいの仕事や職場を選んでほしい。 私たちはお金や安心感だけでなく、「働いている理由」ひいては「自分がここにいる理由」を求めて仕事をしている。「自分がここにいる理由」は、仕事を通じて他者貢献や共同体感覚を実感することで得られる。そう、私たちの心は結局いつだって「だれかのために生きたい」と願ってやまないのだ。私たちはその心の願いを叶えてあげなければ、生きることに喜びを得られないし、自己肯定感を得られない。 自分のプライベートの時間を持ちたいからとか、心身を疲労させてまで仕事をする理由なんてないからと、「ゆるい職場」を選びたくなる人がいるのはわかる。だが、そこで心が本当に欲している栄養を与えてあげられなければ、心はどんどん元気を失って萎びていき、やがては生きることにさえ苦痛を感じるようになる。私たちは平日の起きている時間の大部分を仕事して過ごす。この部分で大事な栄養を得られないと、他の時間でそれを十分に補うのは難しい。 私たちの心は「だれかのために自分がここにいる」実感を求める 別にお金や安心感を犠牲にしろと言っているわけではない。当然ながら、私たちが社会生活を送るにはお金や安心感は大切だ。仕事をしてお金を稼いで生活費を稼がなければお話にならないし、長く働くなら温かくポジティブな人間関係も欠かせない。お金や安心感は私たちにとって大切な栄養であり生命線だ。 しかし私たちの心は、お金や安心感だけではなく「ここにいる理由」という栄養を欲している。 私たちがここで働く理由、与えられたこの仕事をやるべき理由、与えられた課題を頑張る理由――それこそが、私たちの心を強く生かすものだ。私たちの心は「だれかのために自分がここにいる」という実感を求めている。だれかと一緒に挑戦し、ときにだれかを支え、だれかに支えられ……そうした関係のなかで自分自身の存在感や存在理由を確認したいと願っているのだ。 極言すればお金はどんな職場のどんな仕事でも得られるが、私たちの心が求める栄養は「ゆるい職場」ではしばしば見つけられない。 ———- 御田寺 圭(みたてら・けい) 文筆家・ラジオパーソナリティー 会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。 ———-

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