藤井聡太14歳を師匠がベタ褒め「将来はタイトルを総ナメに」“盛りすぎ”じゃなかった高評価…対戦相手も超本気だった『炎の七番勝負』ウラ話
羽生善治や佐藤康光といった棋界最高峰の実力者を含む精鋭を相手に6勝1敗。2017年にABEMAで放送された非公式戦『炎の七番勝負』において、14歳の藤井聡太は“望外の結果”をおさめた。当時の藤井の棋力は、果たしていかほどのものだったのか。「将来はタイトルを総ナメにしてもおかしくない」――同企画をプロデュースした野月浩貴八段が、師匠・杉本昌隆の“予言”と「14歳の藤井聡太」の素顔について語った。(全3回の2回目/#1、#3へ)※文中敬称略 「すごい子がいると噂で聞いていましたが…」 大成功に終わった『藤井聡太四段 炎の七番勝負』だが、始まるまではいくつかの懸念材料もあったという。 そのひとつが、藤井聡太の“実力”だった。 史上5人目の中学生棋士となった才能と将来性に疑いはない。過去に中学生でプロになった棋士は、加藤一二三九段、谷川浩司十七世名人、羽生善治九段、渡辺明九段の4人で、いずれも竜王や名人といったタイトルを獲得し、棋史に名を刻む大棋士となっているからだ。藤井の未来に大きな期待がかかるのは、当然のことだった。 だが当時の藤井は、まだ新四段になったばかり。昇段を決めた奨励会三段リーグでは13勝5敗と、圧倒的な成績をおさめていたわけではない。企画を進めていた段階ではまだ公式戦デビュー前で、棋譜も世に出ていなかった。研究会で指していた棋士から「強い」という評判は聞こえてきていたものの、それがプロとしてどのレベルなのかは未知数だった。つまるところ、トップクラスの棋士とはまだ差があると考える方が自然だったのだ。 『炎の七番勝負』を企画した野月浩貴八段も、同業者として「実際の対局を見るまでは評価のしようがない」という立場だったという。棋士はあくまでも「指した将棋」で判断する生き物だからである。 「奨励会のころから『すごい子がいる』と噂で聞いていましたが、将棋をまだ見てないからよくわからない、というのが正直なところでした。詰将棋が非常に得意(プロ棋士を相手に詰将棋解答選手権を連覇していた)なので、終盤はかなり強いのかな、くらいのイメージです。例えば羽生さんや森内さん(森内俊之九段)は自分より少し上の世代なので若手時代の将棋をよく見ていましたけど、序盤はそれほど細かくなくて、終盤の鋭さで勝っていく形が多かったんです。渡辺さんも若手時代はそうでしたから、藤井さんもそういう感じなのかなと……」 師匠・杉本昌隆の“異例すぎる高評価” 七番勝負の企画は藤井の師匠である杉本昌隆八段を窓口に進んでいた。その過程で野月が戸惑ったのが、杉本による藤井評だった。弟子への評価が高過ぎるように感じたのである。野月は懐かしそうに笑う。 「デビューしたばかりの子をここまで褒めるのはおかしい、というくらい師匠の評価が高いわけです。『将来はタイトルを総ナメにしてもおかしくない』とまで言っていて、いやいや、いくらなんでもそれは“盛りすぎ”でしょうと思いました(笑)」 その数年後、前人未到の八冠制覇を現実のものとして成し遂げるのだが、当時はまだ実績のない新四段だ。師匠が弟子を持ち上げるような文化は、将棋界にはない。どちらかというと、師匠の目線は弟子に対していつも厳しいものである。ところが、杉本はただただ藤井の強さを絶賛していたのである。 七番勝負のメンバーを決めた段階で顔ぶれを伝えたところ、「全敗する可能性もあるけれど、全勝する可能性もありますよ」というのが杉本の感想だった。 「将棋を多く指した上での評価なので、こちらが思っている以上にすごい子なのかなと思いつつ、でも将棋を見たことないから鵜呑みにはできない……。そんな感想でしたね」 「序盤が洗練されている…」藤井聡太14歳の輝き この七番勝負を経て、野月の中での藤井評も変わることになる。 意外だったのは、多少の粗があると思っていた序盤の戦い方が洗練されていたことだった。例えば第1局の増田康宏四段戦。角換わりの戦型で進み、模様が良いまま押し切っている。攻めだけではなく、受けのレベルが非常に高く、想像以上にじっくりとした指し回しだった。 「勢いで勝っている若手は序盤と中盤が少し荒く、終盤力で勝つことが多い。ただ藤井さんは序盤が洗練されていて、まずそこに目が行きました。あと、将棋が“渋い”ですね。詰将棋が強いと聞いていたので、終盤の攻め味が鋭いのかと思っていたんですが、どちらかというと受けが強い。受け止める力が強いと言いますか、無理してでも攻め合いに持ち込むということがなかった。受け止めなきゃいけないところでしっかりと受けに回って、それが選択として正しい。完成されている感じがあって、『これはすごい』と思いましたね。一局を通して、最初から最後まで洗練されていました」 第2局では永瀬拓矢六段に敗れたものの、これが唯一の黒星。その後、藤井は斎藤慎太郎六段、中村太地六段、深浦康市九段、佐藤康光九段、そして羽生善治三冠と、トップクラスの棋士たちを相手に次々と勝利をおさめたのである。 意気込みが強かったのは藤井聡太ではなく… 野月は対局の収録にも立ち会っている。棋士たちが対局に集中できるよう環境作りに気を配っていたが、スタジオでの藤井は特に緊張した様子もなかったという。午前と午後で2局を戦う日も、奨励会と同じ形式ということもあってか、伸び伸びと指していた姿が印象的だった。 「まだ中学生で、将棋を指せるのが楽しい、という感じでしたね。全然緊張もしていないし、普段当たることのない相手と1日で2局指せるのがありがたい、という雰囲気で来ていました」 むしろ印象に残っているのは、藤井よりも相手側の意気込みの方だ。特に若手棋士からは、今後タイトルを争っていくことになりそうな大型新人に、気持ちを入れて臨んでいる雰囲気が感じ取れた。野月は推察する。 「斎藤慎太郎さんや中村太地さんにとっては、純粋に藤井さんと戦ってみたいという楽しみとともに、自分がタイトルを獲るときのライバルになるかもしれない相手との対局という部分もあったのかもしれないですね。思いを持って臨んでいたのは、藤井さんよりも彼らの側だったかもしれません」 中村はこの年に、斎藤は翌18年に、どちらも王座のタイトルを初めて獲得している。藤井の出現は、彼らの思いに火をつけたのかもしれない。 野月浩貴が藤井聡太との対局で感じたこと この『炎の七番勝負』だけではない。 学生服の天才の出現は、その後、公式戦で対局した多くの現役棋士に刺激を与えている。ABEMA将棋チャンネルでは、デビューから藤井の公式戦の対局を必ずと言っていいほど生中継している。順位戦はC級2組からスタートし、棋戦は予選から参加するため、ベテランと呼ばれる棋士と対局することも多かった。多くの注目を集める一局で恥ずかしい将棋は指せないと、みな静かに闘志を燃やして臨んでいたようにも見えた。野月は言う。 「昔と違い、対局する映像が一日中流れますからね。ファンの方は藤井さんをメインで見ているかもしれないですが、自分たちも将棋の内容から表情、姿勢まで、全てを見られるわけです。じゃあどうするって言ったら、将棋を一生懸命に指すこと。自分がやってきた数十年分の全てを出し切りたいという思いはありますよね」 野月自身も、2020年に順位戦B級2組で藤井と対局している。 当時の藤井はすでに二冠のタイトルホルダーだった。特別な一局だからと気負うことはなく、いつものようにコンサドーレ札幌のチャントが揮毫された扇子を持参し、普段通りのルーティーンで臨んだ。難解すぎる中盤でお互いに長考する展開だったが、終盤に抜け出した藤井が勝利となった。敗れはしたものの、積極的な指し手で自分らしさを貫いた対局だったと野月は振り返っている。 「ちょっと一瞬、向こうも囲いのバランスが崩れて怪しいところはあったんですけど、そこで踏み止まる力を持っている。それは分かっていましたし、やっぱり強かったなという印象ですね」 藤井聡太と永瀬拓矢の「運命を変えた第2局」 話題を『炎の七番勝負』に戻すと、この人選にはちょっとした裏話がある。 永瀬が藤井に勝利した第2局には当初、佐々木勇気五段(当時)がキャスティングされていたのだという。しかし佐々木がスケジュールの都合で参加できず、代役として永瀬に出番が回ってきたという経緯があった。 その後、佐々木は藤井のデビューから続いた連勝記録を「29」で止め、初めて黒星をつけた棋士として話題となった。その直前、藤井が29連勝の新記録を達成した際には、対局場を“視察”するほどの念の入れようだったことも広く知られている。野月は「本人に聞いたわけではないですが……」と断った上で、『炎の七番勝負』に出場しなかったことに対して、自分なりに思うところがあっての行動だったのではないかと話す。 「(七番勝負に)自分が出られず、永瀬さんだけが勝った。彼の中でもしも自分が出ていたらとか、いろんな思いがあったのかもしれません」 佐々木は今期からA級に在籍。藤井名人への挑戦権をかけた順位戦の最高峰で、七番勝負に出場した永瀬、斎藤、中村らと切磋琢磨を続けている。こうした因縁が続いていくのも、将棋界の面白いところだ。 一方の永瀬は、この企画の対局がきっかけで藤井と練習将棋を指すようになった。2018年度には叡王の、2019年度には王座のタイトルを獲得し、一気にトップ棋士へと駆け上がっている。 そして2023年10月の王座戦第4局、藤井が史上初となる八冠独占を成し遂げた瞬間には、対局の相手として立ち会うことになった。完全な勝勢に見えたが、1分将棋で指した一手が悪手と気づき、天を仰ぎ、自らの頭をかきむしった。そんな永瀬の姿を多くの国民が目撃し、胸を熱くした。 藤井聡太八冠が誕生した今、あらためて思う。あの『炎の七番勝負』での藤井との邂逅は、その後の棋士たちの運命を変えていったのかもしれない、と。 だが、棋士たちの戦いは今も続いている。それぞれが新しい道を切り開き、これからも魂を揺さぶるドラマを見せてくれるだろう。 <続く>