Friday, December 8, 2023

ボクシング一問一答 那須川天心が試合終了直前の〝幻のダウン〟について「あれで倒せて終わっていたらいいな」 4回に左拳を痛めたことも明かす

Prime Video Presents Live Boxing第5弾(18日、東京・有明アリーナ)プロボクシング123ポンド(約55・79キロ)契約8回戦で、キックボクシングから転向し、プロボクシング2戦目の那須川天心(25)=帝拳=が、メキシコ・バンタム級王者のルイス・グスマン(27)=メキシコ=に3-0の8回判定勝ち。2度のダウンを奪いフルマークで完勝したが、プロボクサーとして初のKO勝利は逃した。 下記は那須川の主な一問一答。 --試合を振り返って 「無事に2戦目で勝つことができて、多少はほっとしている。課題というか、次に進むステップが見えたので、まだまだこれから成長できる。成長した姿を見せることができたので、多少は良かったかなと思ったけど、これに満足せずに、どんどん経験を積んでもっと強くなっていきたい」 --倒しきれなかった 「前回と比べて、どっしり構えたり、思った動きができるようになってきたけど、1ラウンドにダウンをカウンターで取って、そこから相手が何もしてこないときに、迷っちゃう。『どうやって攻めよう』みたいな。僕のスタイル的には打って打って、出してきたのを合わせてっていうスタイルを練習していたので。そういうスタイルだけになってしまったのが、KOできなかった原因なのかなっていうのを終わってすぐに感じたし、試合中にも感じた。セコンドに戻って『これどうやって攻めればいいですかね』と聞いたりとかがあった。次に向けての、前回とは違う目標が見えたので、それに向けてまだまだ強くなっていかないといけないなと思った」 --6ラウンドの左ボディーからのつめは難しかったのか 「4ラウンドぐらいにパンチを打ったら、左手にめちゃくちゃ稲妻が走った。ちょっと痛くなった。腫れていて、あまり今は握れない。左が打てないんだったら、もっと右を打って、いろんなパターンを組み立てるのが、次にしっかりとできるように。前向きな次への課題」 --王者にどのくらい近づいたと思うか 「内容的には圧倒できたと思うけど、お客さんがいる以上はKOして、スカッと勝ちたかった。次はしっかりと倒せるように。『うわー、やってしまったな』とかではなく、次の目標が明確に見えたので。やっぱりボクシングおもろいな。もっと強くなれる機会が得られたと思う。8ラウンドやってもスタミナが切れたとかいうのはなかった。もっと強い相手としっかりとやって、勝てるように毎日やっていくだけ」 --3試合目の希望は 「周りの評価とかも見て、しっかりと経験を積んで。2戦目でメキシコの王者とやらせてもらえたので、強気のマッチメークをずっとやりたい」 --最後の〝幻のダウン〟の手応えは 「多少当たったとは思うので、あれで倒せて終わっていたら、うわーいいなというのはあったけど、なかなかうまくはいかない。でも、見せ場はちゃんと作れた。動きをすべて含めて前回より良い動きができた。ちゃんとダウンも取れたし、2回ダウンをとって差もつけられたと思う。今度はそこをしっかりまとめて倒しきるというのをできるように。そういうストーリーを皆で見守ってくれればいいなと思っている」

天心戦に登場したRガール、別人級のJK制服姿にファン興奮「反則級の馴染み感」「現役より似合う」

 那須川天心のボクシング転向2戦目となった、メキシコのバンタム級王者ルイス・グスマン戦でリングガールを務めた新唯(あらた・ゆい=25)が、リングの上とは別人の制服姿を披露した。  天心戦ではノースリーブの水色ミニスカワンピースでリングに上がり、笑顔を振りまいた。SNSでは水着やバニーなどセクシー寄りの画像が多めだが、16日は半袖のブラウスにリボン、ひざ上のチェックのスカート、紺ソックスにローファーという正当な制服姿だった。  コメントでは「久しぶりの制服 ブレザー派?セーラー服派?」といたずらっぽく問いかけた新。フォロワーは「唯ちゃん…制服姿もかなりヤバい!!」「眩しいくらい可愛すぎて見惚れてしまいます」「ここまでくると反則技級の馴染み感」「現役より制服似合う」「制服姿もダ~ンのトツで可愛い~です」とドキドキしていた。

ボクシング 那須川天心、転向2戦連続判定勝ち メキシコ王者を圧倒

Prime Video Presents Live Boxing第5弾(18日、東京・有明アリーナ)キックボクシングの「神童」と呼ばれた那須川天心(25)=帝拳=のボクシング転向2戦目が行われ、メキシコ・バンタム級王者のルイス・グスマン(27)=メキシコ=に3-0で判定勝ちした。 1回、早々に左ストレートでダウンを奪うと、その後はスピードで圧倒して的確にヒットを重ね、終始自分のペースで試合を展開。6回には猛攻を仕掛けるも耐えきられたが、続く7回に再びダウンを奪取。リングに沈めることはできなかったが、メキシコの王者を圧倒してみせた。

「一発でダウンしなかったことが災いだった」井上尚弥の“追い討ちの左フック”に英国人記者も興奮「同じ時代を生きる私は幸運だ」―2023上半期 BEST5

2023年の期間内(対象:2023年5月~2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ボクシング(井上尚弥)部門の第1位は、こちら!(初公開日 2023年7月27日/肩書などはすべて当時)  井上尚弥(大橋)の驚異的なまでの強さに度肝を抜かれたのは、日本のファンだけではない。7月25日、有明アリーナで行われたWBC、WBO世界スーパーバンタム級タイトル戦で、挑戦者の井上は王者スティーブン・フルトン(アメリカ)に圧倒的な8回KO勝ち。世界中で生放送&配信された一戦で、井上の鮮やかなボクシングは各国の関係者たちを震撼させるのに十分だった。  試合直後、世界で最も権威のあるボクシング専門誌『リングマガジン』の元編集人(マネージング・エディター)であり、現在は『スポーティングニュース』で健筆を振るうトム・グレイ氏に意見を求めた。  井上が披露した余りにも見事なボクシングの興奮覚めやらなかったグレイ氏は、リングマガジン、スポーティングニュースの両方でパウンド・フォー・パウンド・ランキング選定委員を務めている。井上を絶賛するその言葉を聞く限り、日本のボクシング史上最高傑作が欧米の主要媒体から再び“世界最高のボクサー”として認められる瞬間は近そうである。 ◇◇◇ パワーよりもテクニックに驚愕  フルトンを撃破した井上のボクシングはあまりにも素晴らしいものでした。井上のドラマチックなKOパワーは誰もが認識している通りで、今戦でも最終的にはそれで魅了してくれました。ただ、この試合で私が何よりも驚かされたのは、見事なまでのテクニックです。ボクシングスキルでは最高級と目され、しかも上の階級の無敗の統一王者だったフルトンを井上はアウトボクシングで上回ってみせたのです。  井上のジャブは有効で、左の差し合いでフルトンを圧倒しました。身長、リーチの差ゆえに試合前、アウトボクシングではフルトンに分があると目されていましたが、井上のタイミングの良さ、距離感は抜群でした。そのスピード豊かなジャブ、打ちにかかったときのパワーゆえに、フルトンは前に出ることを躊躇わざるを得なかったのです。  初回はまだ様子見の感もありましたが、2回以降は井上が一方的な戦いを続けました。実は私は3回はフルトンにポイントを与えたのですが、迷った末にフルトンに寛容になった結果であり、そのラウンドも井上がペースを明け渡したと見たわけではありません。4〜7回の井上は支配的な戦いを続け、おそらくすべてのラウンドを制していたでしょう。2回以降、2人の力量差は明白。フルトンは世界レベルの選手かもしれませんが、井上は一段上のエリートレベルであることを証明しました。  フルトンはパワー以外のすべてを備えた選手ではありますが、21勝中8KOという戦績が示す通り、一発で流れを変えられるパンチャーではありません。そういうタイプのボクサーがアウトボクシングで上回られてしまえば、できることはなかったのです。  試合前、バンデージの巻き方に関して文句を言ったのはマインドゲームの側面もあったのでしょうが、結果的には井上を怒らせただけで、いいアイデアではなかったのかもしれません。それでもフルトンは勇敢に戦い、8回のあの痛烈なノックダウンからよく立ち上がってきたと思います。あそこまで一方的にやられ、倒され、勝機が見当たらない状況ながら、そのままキャンバスに寝ていなかったことは評価されてしかるべきだったとは思います。 「すぐに倒れていたら、回復したかもしれない」  そんなフルトンを葬った井上のフィニッシュは今回も強烈でしたね。序盤からいいパンチを当てていましたが、深刻なダメージを与えたのは8回の右パンチが最初でした。その一発でダウンしなかったことが、フルトンには災いしたのでしょう。あそこですぐに倒れていたら、回復の時間が得られ、試合はもう少し延びていたかもしれません。ただ、右一発で凍りついたフルトンが追い討ちの左フックを無防備な状態で浴びたことで、この試合の結末は早まりました。  井上は現役最高級のフィニッシャーとして知られており、そのキラー・インスティンクトは今戦でも飛び抜けていました。初めてのKOチャンスで即座にパンチをコンビネーションでまとめ、あっさりとノックアウトしてしまったのですから。誰もがあのようなKOシーンを予期し、実際に期待に応えてしまうのだから、“モンスター”の面目躍如としか言いようがありません。  試合前、かなり迷いましたが、私は井上の11回KO勝ちを予想しました。井上が終盤にフルトンを捉えると見ていたのですが、思っていた以上に早い段階で仕留めてしまいました。本当に息を呑むような強さでしたね。  私は井上対ノニト・ドネア(フィリピン)の第1戦の際は日本に行き、リングサイドで取材しました。井上のキャリアの早い段階の試合もほとんどすべてに目を通してきました。そんな私も、これほどまでのパフォーマンスは思い出せません。井上にとって恐らくこれまでのベストファイトと言えたのではないでしょうか。 PFPランキング1位返り咲きはある?  この試合を見た後で、私は井上こそがパウンド・フォー・パウンドのNo.1ボクサーと認められるべきだと思っています。現在、リングマガジン、スポーティングニュースのPFPランキングではオレクサンデル・ウシク(ウクライナ)が1位ですが、フルトン戦での勝利で井上はウシクを上回ったはずです。4階級目の初戦で、階級最強と目される無敗ボクサーを破壊してしまったのだから、センセーショナルなことです。  リングマガジン、スポーティングニュースにもランキング選定委員がおり、他のメンバーの意見も聞かなくてはなりませんが、もう“モンスター”の圧倒的な強さを評価せざるを得ないでしょう。少なくとも私の意見はそうです(この取材後、『スポーティングニュース』では井上が1位に更新された)。  今週末、ラスベガスでエロール・スペンス・ジュニア(アメリカ)対テレンス・クロフォード(アメリカ)の世界ウェルター級4団体統一戦というビッグカードが行われます。今回の井上のようにとてつもない強さをみせた場合のみ、その試合の勝者に首位浮上の可能性が出てくるのでしょう。中量級でシュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ(ともにアメリカ)、ロベルト・デュラン(パナマ)のようなスター選手たちが凌ぎを削った1980年代のように、歴史的な好試合にでもなれば話は変わってくるのかもしれません。  ただ、12ラウンドを普通にフルに戦い、いずれかが明白に勝ったとしても、その勝者が井上のトップの座を脅かすとは思えないのです。  井上は次の試合でWBAスーパー、IBF同級王者マーロン・タパレス(フィリピン)と4団体統一戦を行いたいと述べ、タパレスも同意しました。タパレスは前戦でムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)という優れた王者に勝ち、世界レベルの実力を証明した好ボクサー。そのタパレスも井上に勝つチャンスがあるとは思えません。パワー、テクニック、スピードのどれをとってもタパレスに超越的なものはなく、井上はすべての面で上回っており、番狂わせが起こるカードとは考えられないのです。  井上のリスペクトを勝ち取り、警戒されるには一定以上のパワーが必須です。プロキャリアを振り返っても、井上を深刻なトラブルに陥らせたのは初対戦時のドネアだけ。ドネアもまたとてつもないパンチャーであり、あの試合では第2ラウンドに左フックを当てて井上の目を骨折させました。フルトンにはそれだけのパンチ力はなかったですし、総合力で大きく劣るタパレスや、それ以外の選手の戦力を見渡しても、井上がスーパーバンタム級で負けると思えません。今後、井上が敗戦を経験するとすれば、それはやはり“体重に負けた”場合になるのでしょうね。 フェザーへの昇級はあるか?  最近では世界4階級制覇王者のサウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)がライトヘビー級に上げ、ドミトリー・ビボル(ロシア)に負けた試合では“ウェイトを上げすぎた”という見方がされました。駆け足で階級を上げていった場合、そういうことが起こるものです。ただ、井上の陣営はより慎重に昇級を考慮している印象を受けます。  彼は大柄な選手ではありませんし、その気になればまだバンタム級でも戦えるのではないでしょうか。私が井上の陣営の人間だったとしても、スーパーバンタム級でこのまましばらく戦わせますし、フェザー級以上には上げさせません。  いずれフェザー級で戦うのだとしたら、井上対フルトン戦のセミファイナルに登場したWBO同級王者ロベイシ・ラミレス(キューバ)との対戦が実現するのかもしれません。アマでの実績豊富なラミレスもまた才能に恵まれたボクサー。ラミレスには“シャクール・スティーブンソン(アメリカ)に最後に勝った選手”という肩書もありますし、ラミレス対井上戦は注目のファイトになるはずです。  今後、井上はまだまだ多くのことを成し遂げていくと予測します。現役選手に関してこんな話をするのは早すぎるのかもしれませんが、井上は間違いなく“オールタイム・グレート”と呼ばれるべきボクサーだと考えます。間もなくPFPのトップに戻り、2階級で4団体統一を果たす史上初の男子ボクサーになるのでしょうから。フロイド・メイウェザー(アメリカ)、マニー・パッキャオ(フィリピン)などと同じように、その名はボクシングの歴史上で永く語り継がれていくに違いありません。  井上がなし遂げていることはもう驚異としかいいようがないのです。そんな選手と同世代に生き、キャリアを間近で見ることができている私は、とても幸福で、幸運なのだという思いが心の中に湧き上がってきています。 ―2023上半期 ボクシング(井上尚弥)部門 BEST5 1位:「一発でダウンしなかったことが災いだった」井上尚弥の“追い討ちの左フック”に英国人記者も興奮「同じ時代を生きる私は幸運だ」 https://number.bunshun.jp/articles/-/858743 2位:「フルトンの鼻血は“命取り”だった」“井上尚弥を最も苦しめた男”が見た、敗者の異変「井上くんに完敗でもフルトンは称賛されるべき」 https://number.bunshun.jp/articles/-/858742 3位:「かなりショックだったのでは…」井上尚弥はフルトンの“奇策”をどう打ち破った? 元世界王者・飯田覚士が分析「一番驚いたのは本人のはず」 https://number.bunshun.jp/articles/-/858741 4位:井上尚弥の左ボディジャブは「他の選手と違って痛いんです」…“怪物と最も拳を交えた男”黒田雅之がフルトン戦を分析「絶対に上への布石だと」 https://number.bunshun.jp/articles/-/858740 5位:「おい、フルトンがおかしいぞ…」井上尚弥の“仮想フルトン”になったアメリカ人の告白「ナオヤと1カ月前に話した“腹、腹、腹…”プラン」 https://number.bunshun.jp/articles/-/858738

プロ野球の歴代内野手で「グラブさばきが」が一番うまかったのは誰か 高木豊が参考にしていた選手などを挙げた

高木豊が選ぶ「グラブさばきがうまい」内野手  歴代選手編 (現役選手編:源田や菊池のすごさ、「守備の名手」が減った理由も語った>>)  高木豊氏に聞く「グラブさばきがうまい」内野手。前編の現役選手に続き、後編では歴代の選手の中から厳選する。チームメイトだったレジェンドをはじめ、意外な選手の名前も挙がった。 (※)高木氏の定義……グラブさばき=ボールに対するグラブの当て方、ハンドリング=手首や腕の使い方 【野球史に残る名手がズラり】 ――歴代でグラブさばきがうまかった内野手を挙げるなら? 高木豊(以下:高木) 僕が実際にプレーを見た中で一番うまいと思ったのは、篠塚和典さん(元巨人/二塁手)です。グラブさばきが柔らかくて、打球の勢いを瞬時に殺せるんですよ。  あとは山下大輔さん(元大洋/二塁手、遊撃手、三塁手)も外せません。山下さんはハンドリングが抜群なんです。当時は今みたいに人工芝ではなく土のグラウンドで捕球のタイミングが合わないことも多かったのですが、ハンドリングのうまさで対応していました。 ――山下さんは、守備の名手としてよく名前が挙がりますね。 高木 ハンドリングが柔らかくて、荒れた土のグラウンドでもミスをしませんでしたね。スピードに乗った硬い打球は、力を抜いて柔らかく構えていないと弾いてしまいますが、柔らかさでボールを吸収するように捕っていました。天才的でしたよ。 ――他に挙げるとすれば? 高木 宮本慎也(元ヤクルト/二塁手、遊撃手、三塁手)ですね。彼は動きの連動性が高くて、最初のステップから打球に対する入り方が崩れません。一定の形を保ったまま打球に入っていけますし、グラブで捕るというよりも、体の正面を向けて打球に入っていき、”体の芯”で捕る感覚です。 「基本」と「応用」という言葉を用いるのであれば、山下さんは応用で、宮本は基本。見ていて派手さはなく、「うまい!」と思われやすいプレーではないのですが、形が一定していて崩れないからミスが少ないんです。 ――連動性があって形が崩れないといえば、宮本さん同様にショートやサードを守っていた石毛宏典さん(元西武など)にも同様のイメージがありました。 高木 石毛さんもそうですね。打球への入り方から捕球、スローイングまでの一連の動きがほとんどブレませんでした。井端弘和(元中日など/二塁手、遊撃手)も似ています。派手さはないけど、とにかくミスをしません。  辻発彦(元西武など/二塁手)もうまかったですね。石毛さんや井端は必ず打球の正面に入ろうとしますが、辻が守っていたセカンドは、ショートと違って時間的な余裕が少しあるので応用が利くんです。  正面に入るより逆シングルのほうが早く打球がさばける場合は逆シングルで入りますし、送球を強くしたい時にわざと正面に入らず、体を回転させて勢いをつけるとか、そういう応用が利いていたのが辻なんです。セカンドはそういうタイプの選手が多くて、現役でいえば菊地涼介(広島/二塁手)もそうですね。 【歴代で一番うまいと思うサード】 ――ショートでリーグ最高守備率を5度記録した小坂誠さん(元ロッテなど)はどうですか? 高木 小坂もうまかったですが、グラブさばきや肩の強さ、スローイングの正確性では宮本や井端より劣りますかね。打球への反応、一歩目のスタートといった俊敏性においては”歴代ナンバーワン”と言ってもいいと思います。  ショートでいえば、弓岡敬二郎(元阪急~オリックス/遊撃手)のグラブさばきがうまかった。打球に対して捕球のタイミングが合っている時は誰でも捕れるんですけど、合わない時も絶対にあるんです。その時には、いかに手首や腕を柔らかく使えるかが重要になりますが、弓岡はその点が長けていた。僕と彼は同級生で、東洋大姫路高の時から守備をよく見ていましたが、常々「うまいな」と思っていました。  それと、酒井忠晴(元中日など/二塁手、三塁手、遊撃手)のグラブさばきも一級品でした。ショートだけでなく、セカンドやサードを守ってもうまかったです。 ――ファーストで挙げるとすれば? 高木 駒田徳広(元巨人など/一塁手)はハンドリングがうまかったです。長い腕を柔らかく使っていました。スローイングも正確で、大柄だったので他の内野手が送球する時に的が大きくて安心感も与えます。福浦和也(元ロッテ)や中田翔(巨人)のファーストの守備もうまいですが、駒田の比ではありません。 ――サードはどうですか? 高木 歴代で一番うまいと思うサードは、現役時代に一緒にプレーしたことがある石井琢朗(元横浜大洋~横浜など/遊撃手、三塁手、投手)です。ショートのイメージが強いと思いますし、確かにショートもうまかったのですが、宮本や井端らに比べると少し劣ります。  ただ、サードを守らせたら抜群にうまかった。サードに求められる速い打球の反応をはじめ、ボールへのグラブの合わせ方もよかったですし、送球も安定していました。1993年シーズンの横浜は、当初は僕がサードを守っていたのですが、琢朗がサードに来たので自分はファーストにコンバートされる形になりました。  琢朗とショートのポジションを争っていた進藤達哉(横浜大洋~横浜など/二塁手、遊撃手、三塁手)もうまかったですよ。進藤はボールに対しての入り方、バウンドの合わせ方がうまかった。ただ、「どこからでもスローイングができる」というわけじゃないのが欠点でした。例えば低い打球に対しては、捕った後に低い位置から投げなければいけないのですが、彼は上からしか投げなかったんです。そういう面で応用はうまくなかったですが、自分の形を崩さない場合は抜群にうまかったです。 【サードで起用されるかもしれなかった名捕手】 ――ちなみに、高木さんご自身はどうですか? 1983年にダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を二塁手部門で受賞されていますし、1987年には二塁手として当時の日本記録となる守備率.997を記録されています。 高木 篠塚さんの守備を見ているので挙げられないです。僕は堅実ではあったと思いますが、篠塚さんにはとても敵いません。篠塚さんのボールの勢いを殺すグラブさばき、ハンドリングの柔らかさはずっと参考にしていましたが、自分のものにはできなかったですから。あれは天性のもの。僕は脚力などでカバーしていただけです。  あと、キャッチャーですが谷繁元信(横浜大洋~横浜など/捕手)はサードをやらせたら抜群にうまかったですよ。キャッチャーはずっと座っているイメージがありますが、フットワークが大事。谷繁はフットワークがよく、ピッチャーのいろいろな球を捕っているのでグラブさばきも、ハンドリングもすごくうまかったです。  森祇晶さんが横浜の監督だった時、僕が内野守備・走塁コーチを務めていたのですが、サードがいない時があったんですよ。それで森監督に「豊、サードの候補って誰かいるか?」と聞かれた時、「やらせるんだったら、谷繁にやらせてください。キャッチャーとして使わない時には、サードとして使えますよ」と言ったんです。 ――いつ、谷繁さんのサードの守備を見る機会があったのですか? 高木 谷繁が遊び感覚でサードにノックを受けにきたことがあって。サードからファーストに送球する練習をしていたんですが、送球の正確性や強さ、打球の捕り方も、少し練習すればすぐにサードができるレベルでした。コーチ会議の時にサードの候補として谷繁の名前を出したことは覚えていますし、実戦で使う寸前までいきましたね。 ――谷繁さんに対して「サードを守ってもらうことがあるかもしれない」と伝えていた? 高木 いや、それを言うと気持ちがブレてしまうので、本人には言っていなかったはずです。ただ、実際の試合ではプレッシャーもありますし、使ったらどうなっていたかはわかりませんけどね。古田敦也(元ヤクルト/捕手)も絶対にサードができたと思いますよ。 【天才に教えられた守備の心構え】 ――ピッチャーはいかがですか? 高木 桑田真澄(元巨人など/投手)です。彼なら二遊間も守れたでしょう。グラブさばきはもちろん、ハンドリングも柔らかいですし、打球に対する反応も抜群でした。斎藤雅樹(元巨人/投手)もそうでしたね。 ――ちなみに、桑田さんと対戦した時にセーフティーバントを試みたことはありますか? 高木 桑田が投げている時はやらなかったです。確か、送りバントもしたことがなかったと思います。それだけ打球への反応、フィールディングがよかったですし、”ボールと親しんでいる”という感じがしたのは桑田でした。 ――守備について、選手同士で話した印象的な話はありますか? 高木 大洋時代、山下さんと話したことですね。ナゴヤ球場での中日戦だったのですが、試合が終盤で大洋がピンチを迎えたんです。グラウンドもかなり荒れていましたし、山下さんに「こういう時って嫌じゃないですか?」と聞いたんですよ。そうしたら、「豊、それは運だから。イレギュラーも含めて。もっとラクに考えろ」と(笑)。こんなに楽観的に考えているんだなって思いました。だから体の力が抜けて、いい守備ができるんだなと。 ――技術はもちろん、気持ちの持ちようも大事? 高木 大事でしょうね。山下さんの考えでは、「イレギュラーしたボールを捕れ」というほうが難しいし、それを自分の責任にせずにリラックスしろということ。打球に向かってスタートを切るという点でも、下半身には力を入れておかないといけないけど、逆に上体は力を抜いておかないと手が動かない。バッティングでもそうです。土台となる下半身はしっかり構え、上体はいかにリラックスさせるかが大事です。 ――山下さんの話を聞いて、守備の心構えは変わりましたか? 高木 そうですね。天才の言うことはなかなか理解するのは難しかったですが、こういうことなんだろうと、上体の力を抜くように意識していました。それ以前も力は抜けていたのかもしれませんが、意識して力を抜くようになったんです。  あと、宮本が面白いことを言っていたのですが、「エラーをするってことは、その日は運がないってこと」らしいんです。つまり名手の場合、エラーしても自分のせいじゃないんですよ(笑)。山下さんは、エラーしたらグラブを変えていましたし。「このグラブが悪いんだ」と言っていたわけではないのですが、まわりの人間からはそう見えるんです。気分転換もしたかったんでしょうね。打者も、打てなかったら違うバットを使ったりしますが、そういう感覚だったんじゃないですか。 【プロフィール】 高木豊(たかぎ・ゆたか) 1958年10月22日、山口県生まれ。1980年のドラフト3位で中央大学から横浜大洋ホエールズ(現・ 横浜DeNAベイスターズ)に入団。二塁手のスタメンを勝ち取り、加藤博一、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」として活躍。ベストナイン3回、盗塁王1回など、数々のタイトルを受賞した。通算打率.297、1716安打、321盗塁といった記録を残して1994年に現役を引退。2004年にはアテネ五輪に臨む日本代表の守備・走塁コーチ、DeNAのヘッドコーチを2012年から2年務めるなど指導者としても活躍。そのほか、野球解説やタレントなど幅広く活動し、2018年に開設したYouTubeチャンネルも人気を博している。

「根尾かわいそう」一気にトレンド入り 中日ファン号泣「嫌な予感がしたらほんとだった」

◇18日 中日―広島(バンテリンドームナゴヤ)  先発した今季初登板の中日・根尾昂投手(23)は自己最長の6イニング3分の2を4安打1失点(自責0)にまとめて降板したが、救援陣が打ち込まれ同点に追いつかれ、プロ初勝利を逃した。ネット上は試合中から「根尾くん」の好投に沸いていたが、初勝利が消滅すると「根尾かわいそう」が一気にトレンド入りした。  X(旧ツイッター)では、「マジか。7回途中6点リードから根尾のプロ初勝利消える」「なんとかならないものか…」「これはちょっと根尾かわいそう」「中日の勝ちパ(勝ちパターン)がめっちゃ失点する日なんてあるんだな」「『根尾かわいそう』がトレンド入りしてたので嫌な予感がしてクリックしたらほんとに根尾君かわいそうだった…」「トレンドになってどうする」「カープファンだが、根尾かわいそう」と、さまざまな感想が飛びかった。

イングランド連勝も日本に〝苦戦〟…世界のメディアは厳しい論調「フランスなどと比べれば数段レベルが下」【ラグビー・ワールドカップ】

◇17日 ラグビーW杯フランス大会・1次リーグD組 イングランド34―12日本(ニース)  イングランド(世界ランキング同6位)は日本(同14位)に勝利。4トライでボーナスポイントを加えて勝ち点5を獲得。2連勝で勝ち点9とし、D組の首位に浮上した。日本はW杯2試合で1勝1敗とし、勝ち点5のままだった。  イングランドは一時リードを許し、前半を13―9で折り返したこともあり、世界メディアは苦戦したとの論調が目立った。  アイルランド紙アイリッシュタイムズ(電子版)の見出しは「日本があまりに接戦に持ち込んだため、イングランドは息をつくには程遠く、ほとんどコントロールを失いかけた」。英BBC放送は「イングランドはスコアもパフォーマンスも、大会の主役たちをヒヤリとさせるには至らなかった。それどころか、フランスやアイルランド、南アフリカと比べれば数段レベルが下だと露呈した」「試合が進むにつれて良くなっていったが、それでもW杯で望むエンディングを得るには、この試合よりはるかにいい出来でなければならない」と報じた。  英紙テレグラフ(弟子版)は「イングランドはつっかえつっかえ進み、不調な日本を相手に勝利を収めた」の見出しで「美しくはなかった。イングランドの攻撃はときに非常に混乱させられて熱意もなく、スタット・ド・ニースにはブーイングも響いた。正確さも実行力も欠け、14人でアルゼンチンをくだした前戦で見せた思考の明確さもなかったが、それでも2連勝で準々決勝の進出に近づいた」と評した。

角田裕毅のシンガポールGPは、1周目で終了……ペレスと接触しマシンに大ダメージ「鈴鹿に向けて、力強く立ち直りたい」

 アルファタウリの角田裕毅は、F1シンガポールGP決勝レースの1周目に他車と接触。リタイアに終わった。予選Q1トップタイムの勢いを、結果に繋げることができなかった。  大規模なアップデートをシンガポールGPに投入したアルファタウリ。その効果はかなり出ているようで、角田は初日から好調な走りを披露。予選Q1では、セッション終盤に赤旗が出たことに助けられたという面もあったが、堂々のトップタイムを記録してQ2に臨んだ。  しかしそのQ2では、最初のアタックをマックス・フェルスタッペン(レッドブル)に妨害され、2回目のアタックではブレーキングでミスを犯してノータイム。15番グリッドから決勝レースをスタートすることになった。  そしてその決勝では、予選で苦しんだ姉妹チームであるレッドブルのセルジオ・ペレスと接触。これで角田のマシンには大きなダメージが及んでしまい、走行を終了させるしかなかった。  一方でチームメイトのリアム・ローソンは、デビュー3戦目にして堅実な走りを披露し、9番手フィニッシュ。アルファタウリにとっては貴重な2ポイントを持ち帰った。 「リアムがポイントを獲得したことを祝福したいです。シンガポールでF1を走らせるのは初めてだったのに、彼は良い仕事をしたと思います」  そう角田は語った。 「チームはシンガポールに大規模なアップデートを投入してくれました。しかし僕は2戦連続でクリーンな週末を過ごせませんでした。それについては、とてもフラストレーションを感じています」  そう語る角田は、接触について次のように説明した。 「スタート自体は良かったのですが、1周目に接触してしまい、ラジエターや冷却システムと共に、サイドポンツーンにダメージを負ってしまいました。それで、リタイアせざるを得なかったんです」 「チェッカーフラッグを受けられなかったのは悔しいですし、残念です。ポイントを獲得できるだけのペースは間違いなくあったのですが、パフォーマンスを引き出すチャンスがなく、チームには申し訳なく思っています」  次のレースは1週間後。角田にとっては母国レースとなる日本GPである。ここでの巻き返しを、角田は誓う。 「でも、僕は自分自身をリセットし、鈴鹿に向けて力強く立ち直りたいと思っています」 Follow @MotorsportJP

長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか?

現在は大阪で興国高校野球部の監督を務める喜多隆志。2001年秋、慶応大のヒットメーカーとして六大学野球で記録を打ち立て、ドラフト1位でロッテに入団、その後わずか5年で引退した現役時代を振り返る。(Number Webノンフィクション 全2回の第1回/#2へ) 何を投げられても対応できる感覚 「ボールが止まって見えた」  かの有名な「打撃の神様」川上哲治が残した言葉だ。2001年秋。慶応大の喜多隆志は、その境地を垣間見た。歴史と伝統に彩られた東京六大学秋季リーグで、打ち立てた43打数23安打、打率.535の記録はシーズン史上最高打率。六大学屈指の名打者、長嶋茂雄(立教大)でも、高田繁(明治大)でも、岡田彰布(早稲田大)でも、高橋由伸(慶応大)でもない。偉大な先人たちですら届かなかった、そして20年以上が経過した今でも破られることのない金字塔としてその名を刻み続けている。 「誰か早く破ってよとは思いますけどね(笑)。でも、あの時はボールが止まって見えるみたいな、何を投げられても対応できる感覚は正直ありました。技術的に何かを意識した訳じゃなく、本当に『何で?』っていうぐらい状態はよかったですね」 多田野のスライダーを自打球で入院  実は「不安の中で臨んだ」大学ラストシーズンだった。智弁和歌山時代は1996年センバツで準優勝、1997年夏の甲子園で優勝し、高校2年生から2年連続で高校日本代表に選出。慶応大でも1年春からレギュラーとして試合に出場し続けた。  ただ、最上級生となり、ドラフト上位でのプロ入りも視野に入ってきた2001年春のリーグ戦で歯車が狂う。立教大戦。苦手としていた多田野数人のスライダーを強振した直後、右すねに自打球をもろに当ててしまう。 「自打球が当たった後もそのまま治療せずに放置していました。そうしたら、右足がすごい熱を持って、あざも下に落ちてきて、だんだん体がおかしくなってきて……」  翌週の明治戦。スパイクが履けなくなるほど右足が腫れ上がる中で強行出場も連敗。その夜に嘔吐を繰り返し、ようやく病院へいった。医者の診断は「蜂窩織炎」だった。  蜂窩織炎は傷口などから細菌が侵入し、発症すると炎症を起こした部位が痛みや熱感を伴って腫れ上がり、発熱や悪寒、倦怠感などの全身症状を発症。中には敗血症などに移行して命に関わるケースもあるという。 「医者から『何でこんなになるまで放っておいたの。死ぬよ』と言われました。そこから3週間入院して、最後の早慶戦には戻りましたけど、打てるはずないですよね」 素振りをしないと寝られない  結局30打数5安打、打率.167と低調に終わり、7シーズン目にして初めて規定打席にすら到達しなかった。さらに8月初旬、蜂窩織炎が再発し、高熱にうなされながら再び3週間入院。ほぼぶっつけ本番でラストシーズンを迎えることになった。 「お酒を飲みに行って夜の2時とか3時に帰ってきても素振りをしないと寝られないタイプだったので、その人間が入院してバットを持てないっていうのは最初辛かったです。もうこれで野球人生終わったなって思いましたし、ほんましんどかったですけど、結果的に必要な時間だったのかなと思います」 初めて解けた重圧  野球を始めた時から、こんなにも長い期間、バットを振らないことはなかった。入院明け。恐る恐るバットを握り、スイングしてみた。これまでにない感覚だった。 「新鮮な気持ちでしたね。野球を楽しもう、みたいな感じで凄く余裕が生まれたというか、打てなくても仕方がないという感じに、いい意味で開き直れました」  高校でも大学でも、下級生の頃からチームの主軸を担ってきた。それゆえ、「打たなければいけない」という重圧が常につきまとったが、「打てなくても仕方ない」と開き直れたことで、喜多の打撃は好転していく。リーグ戦前最後のオープン戦。体勢を崩され、泳ぎながらも、バットを最後に走らせてセンター前へと運んだ打球を目で追いながら、ラストシーズンで戦える確信を得た。 早慶戦を前に打率.618 「あのバッティングが自分の中のバロメーターというか、確認できるところでした。『ちょっとこれ感じいいな』と思ったのは今でも覚えています」  期待と不安が入り交じる中で開幕した2001年秋のリーグ戦。明治大との1回戦で3本の二塁打を放つと、2回戦では単打3本と2戦8打数6安打の固め打ち。勢いづくと、4カードで1試合3本以上の安打も6度マークするなど、34打数21安打、打率.618と打ちまくり、開幕8連勝で2000年秋以来、自身2度目の優勝を決めた。 「やっぱり初戦ですよね。最初に打って春に負けた明治に勝てたっていうのは凄く大きいですし、チームと一緒に勢いに乗っていったという感じがあります」 たまたまヒットになっている  そして迎えた最後は早慶戦。1回戦、和田毅と4打席対戦し、9試合目にして初の無安打。続く2回戦では2安打するも、守備中に左足くるぶしを負傷した影響で、第3戦は代打のみの出場に終わった。それでも東京六大学でシーズン最高打率の.535をマーク。4年間で通算114安打を放ち、4度のベストナインを獲得した。  巧打の外野手に対するプロの評価は春から急上昇。ロッテからドラフト1位指名を受け入団すると、ルーキーイヤーの5月にはパ・リーグ史上8人目、新人としてはパ・リーグ史上初の2試合連続サヨナラ打と鮮烈なデビューを飾った。誰もがロッテの中心選手へと成長していくことを信じて疑わなかった。 「自分で打っているというより、たまたまヒットゾーンにいっている打球が多かったです。プロのピッチャーは紙一重の部分でストライクとボールを投げ分けられるし、甘い球を一発で仕留められずにファウルにすると、決め球は厳しいところにくる。対応力がなかったんだろうなと、終わってみてそう感じます」 喜多は賭けに出た「トレードに出してください」  結局レギュラーの座をつかむことはできず、1年目は19試合、2年目は34試合のみの出場。3年目の2004年から山本功児監督に代わり、ボビー・バレンタイン監督が9年ぶりに復帰して以降は一軍での出場機会すらなくなってしまった。  4年目のシーズンを終えた2005年オフ。何とか来季の契約を勝ち取った更改交渉の場で、喜多は賭けに出た。 「トレードに出してください」  球団の反応は冷ややかだった。 「球団からは『それは5年目がダメだったらロッテには残れませんよっていうことだよ』と。外から話がなくて、ロッテでもダメだったら、もうあかんやろうな、という覚悟はありました」 慶応大先輩のアドバイスでつかんだ新しい感覚  背水を期して臨んだプロ5年目。慶応大先輩の佐藤友亮と自主トレを行い、これまでの右手主導から、左手で押し込んで打つ打撃をアドバイスされた。 「元々、右手の感覚で打っていたのを、左手の感覚で打つことで『こんなに変わるんや』と。左投げなので基本的には左手の感覚のほうが強いんだと思います。5年目のバッティングが一番感覚がよくて、今の指導に繋がっている部分もあります」  結局、他球団からトレードの話はなかった。この年、二軍では160打数45安打、打率.281、4本塁打。代打での1打席勝負で結果を残すことも多かったが、一軍に上がることなかった。 26歳でプロ野球を去る  そして2006年10月2日。球団から戦力外通告を受けた。5年間で一軍通算53試合、わずか22安打だった。 「どんなボールに対してもアジャストして全部いい打球を打ちたいっていうのが理想でしたけど、足が速い方ではなかったので、もう少し長打にこだわっていた方が違った形で評価されたのかもしれません。5年目は遠くに飛ばせる感覚もあったので。今となっては分からないですけどね」  喜多には3つの夢があった。「甲子園」「プロ野球選手」そして「高校野球の指導者」。トライアウトを受験しながらも、心は残る最後の夢へと傾いていた。26歳の晩秋だった。  <続く>

シーズン全休の大谷翔平、エンゼルスベンチに現る チームメートと談笑する姿に本拠地の日本人ファン大喜び

◇16日(日本時間17日) 大リーグ エンゼルス―タイガース(アナハイム)  シーズン全休が決まった大谷翔平選手が16日、タイガース戦でベンチに座って試合を見つめた。仲がいいモニアック外野手やサンドバル投手と談笑しながら、リラックスした雰囲気だった。  前日、シーズンの残り試合を欠場する決断をした大谷は、ネビン監督にホームスタンドでの試合はチームにいることを伝えた。指揮官は「彼はここにいるのが好きだし、チームメートのそばにいるのが好きだ。彼にとって自分らしくいられる場所だと思う」と語っていた。  大谷は9月4日に右脇腹を痛めてからは、ダグアウトには出てこなった。思わぬ主役の登場に、日本人ファンらがカメラを向ける姿が見られた。  大谷は近いうちに右肘の手術を行う見通し。シーズン後はフリーエージェントとなり、去就が注目される。(写真はAP)

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