Friday, December 8, 2023

【全文公開】木村拓哉、「事務所を立て直す」の強い思いで積極的に“全方位外交” 因縁を越えてDA PUMPのライブも訪問

 俳優や歌手として、これまでヒーローでいつづけた木村拓哉(50才)にとって、この騒動がターニングポイントになることは想像に難くない。息をひそめるタレントが多い中、積極的に周囲と交わろうとする彼の胸中は──。 【写真】金髪七三分け・ジージャン姿の木村拓哉。他、Koki,と写る車中の木村、白黒ファッションのプライベートも  東京、池袋の大劇場。上下ともにデニム、足元にはタッセルつきのローファーを合わせたシルバーヘアの男性が、スタッフに深々と丁寧にお辞儀をして、その場を離れた。男性は木村拓哉。伊藤英明(48才)主演の舞台『橋からの眺め』を観劇したのちのワンシーンだ。 「伊藤さんは映画『レジェンド&バタフライ』(2023年)で共演してからというもの、木村さんが憧れの先輩だと周囲に公言しています。“それまで自分のためだけに頑張ってきたけれど、多くの人を笑顔にして、人生に影響を与える木村さんのような俳優になりたい”と口にするようになった。  伊藤さんは過去に舞台上でせりふが飛んだことが長くトラウマになっていましたが、木村さんの背中を見て、俳優業に再び生きがいを見出すことになったそうです」(映画関係者)  木村が観劇した9月22日、伊藤はインスタグラムに興奮気味にこう記している。 《大好き木村先輩が舞台を観に来て下さいました!!》  伊藤の奮闘に木村も影響を受けたようだ。この日、木村も伊藤と同じ舞台に出ていた和田正人(44才)とのスリーショットをインスタに投稿し、《本気の、物凄いエネルギーに拍手! 素晴らしかったぁ~!》と書き込んだ。  さらに3時間後には白いタンクトップ姿の自身の写真をアップして、《何だか異様に身体を動かしたくなってジムへ。やっぱり刺激を受けたからでしょうか…。がんばろ!》と意欲をみなぎらせた。異例となる1日2本のインスタ投稿にファンは歓喜した。木村の精力的な活動に芸能関係者も舌を巻く。 「木村さんはこの数日前、都内で行われたDA PUMPのツアーの初日公演をお忍びで訪れていました。その前には山下達郎さんのライブにも顔を出されています。いま、ジャニーズ事務所に所属する多くのタレントが外部との接触を避けるかのように、おとなしくしている印象です。  何をやってもバッシングされかねない状況ですから、目立ちたくないのが本音でしょうが、そんな中でも、木村さんは積極的に交流しています。何とか事務所を立て直したいという気持ちの表れなのでしょう」(芸能関係者) 「性加害を軽視している」  創業者であるジャニー喜多川氏(享年87)の性加害問題をめぐって、ジャニーズ事務所の激動が続く。広告スポンサーの撤退が相次ぎ、10月2日に予定される経営体制発表では、社名変更や新会社設立など大胆な改革案を提示するとみられる。この間、木村はさまざまな策を講じてきた。そのひとつが、東山紀之新社長(56才)らとの会食だ。 「9月7日の会見で東山さんは木村さんと藤島ジュリー景子前社長、井ノ原快彦さん(47才)、国分太一さん(49才)ら幹部タレントと会食したことを明らかにしましたが、そこで木村さんは事務所のタレントやスタッフに対する熱い思いをぶちまけたそうです。さらに事務所の今後について、変えなければいけないことと継承していくことを明確にして、世の中に伝えるべきだという姿勢も明らかにしたようです」(前出・芸能関係者)  自身の意見を新社長に提言するのと時を同じくして、木村はある提案も行っていたという。 「木村さんは『後輩たちとフランクに話せる場を作りたい』と井ノ原さんや国分さんに声をかけ、メッセージアプリでグループを作ったそうです。すると木村さんを慕う多くの後輩が集い、瞬く間にひとクラスに相当する規模のグループになったとか。自分が食べたいものを持ち寄って歓談するという手作りの食事会を何度か開き、腹を割った話し合いを進めたと聞きます」(前出・芸能関係者)  事務所の改革において、今後のキーマンとみられる木村だが、東山らの会見後には批判にもさらされた。 《「show must go on!」 PEACE!! STAYSAFE 拓哉》  会見直後、敬礼した自撮り写真とともに木村はこうインスタグラムに投稿した。「show must go on」とはジャニー氏のモットーとしても知られ、“一度始まったものは最後までやり遂げなくてはならない”ということを意味する。 「投稿にはいいねが18万を超える一方、『性加害を軽視している』とも受け止められ、賛否両論となりました。木村さんは投稿を削除したものの、その気持ちに嘘はなかったのでしょう。どんな境遇にあっても目の前の仕事に地道に取り組み、エンタメで結果を見せていきたいという思いなのです」(前出・芸能関係者)  その気概は別の面からもうかがえる。前述の通り、木村はDA PUMPのコンサート会場にも足を運んだ。前出の芸能関係者はこの行動について「木村さんの覚悟の表れでしょう」と指摘する。 「1997年にデビューしたDA PUMPは、歌、ダンスのレベルが高く、すぐに大ブレークを果たしました。しかし、当時は国民的男性アイドルといえばSMAPでした。結果、DA PUMPの露出は思うように増えなかった。彼ら自身のスキャンダルなどもあり、やがてSMAPだけでなく、ほかのジャニーズタレントの影にも隠れてしまうようになったのです。  DA PUMPから見たらSMAPは越せない高いハードルで忸怩たる思いもあったでしょうが、木村さんは後にISSAさんと個人的につながり、いまや友人関係を築いています。こんな時期だから、かつての“因縁の相手”と会えば、揚げ足をとる人がいるかもしれない。それでも木村さんとしては“全方位外交を”という思いがあるのでしょう」(前出・芸能関係者)  だが本人の気持ちとは裏腹に逆風は続く。前述の通り、広告スポンサーの“ジャニ切り”が相次ぐなかで、木村も例外とはならなかった。長年、木村を起用してきた日本マクドナルドと日産自動車は、9月中旬に新たな広告、販売促進においてジャニーズタレントを起用しない方針を明らかにした。さらなる追い打ちとなったのは、木村が主演する人気ドラマ『教場』(フジテレビ系)のスペシャルドラマが制作延期になったことだ。 「『教場』シリーズは連続ドラマ化もされ、近年の木村さんの代表作の1つでした。スペシャルドラマは来春放送で、今秋の撮影が予定されていましたが、急遽制作が止まったのです。ジャニー氏の性加害問題が影響したとの報道もありましたが、実際には、生徒役のメインキャスト級の若手俳優が体調不良を理由に降板したことが、そもそものきっかけだといわれています。  ドラマに期待をかけていた木村さんは一時期かなり落胆していましたが、大事なキャストが欠けて、完璧な作品を作ることができないならば、一度立ち止まってみようと前向きに受け止めたようです」(テレビ局関係者) 「YOUはめちゃくちゃだ!」  窮地の中でもエンタメにこだわり続ける木村。彼をジャニーズ始まって以来の最大のスターと呼ぶ声は多いが、若かりし頃、本人にその覚悟はなかった。  木村がジャニーズ事務所に入所したのは1987年のこと。本人が知らないうちに親戚が履歴書を送り、初めて事務所を訪れた際、そこにいた小柄な男性に「すみません、ジャニーさんってどこにいるんですか」と尋ねた。すると男性はこう答えた。 「ぼくだよ」  それが2人の出会いだった。その後、木村は光GENJIのバックダンサーなどの下積みを経て、1988年にSMAPが結成された。スーパースターの階段を歩み出した木村だが、ジャニー氏には怒られてばかりだったという。 「バックダンサー時代、金髪のメッシュを入れた木村さんにジャニーさんが『YOU、最悪だよ!』と激怒し、木村さんの頭を押さえつけて、スタッフに買ってこさせたスプレーを使いその場で髪を黒く染めた“事件”は有名です。  ハワイに行った際に無断で部屋を抜け出したり、リハーサル中にガムを噛んでいて振付師から『帰れ!』と言われて本当に帰ってしまったりと木村さんはヤンチャなエピソードが豊富ですが、そのたびにジャニーさんは『YOUはめちゃくちゃだ!』と怒鳴りつけたそうです。  年齢を重ねるにつれて温厚になったジャニーさんですが、木村さんに対しては『YOUの代わりなんていくらでもいるんだよ!』と叱り飛ばすことが多かった。木村さんはジャニーさんに最も怒られたアイドルかもしれません」(別の芸能関係者)  厳しい態度は期待の裏返しだった。かつて『産経新聞』(1995年6月12日)のインタビューで、ジャニー氏は木村についてこう語っている。 《とにかく頑張り屋。すべてに納得を知らない。仕事に納得したら芸能界をやめると言っているほど》  木村にとってもジャニー氏は大きな存在だった。 「木村さんはよく『あの人がいなかったら、こういう仕事をやってなかった』と話していました。ジャニーさんも独自路線の木村さんを叱りつつも、認めて面白がっていた節があります。オンリーワンの道を突き進む木村さんのやり方は、ある意味でジャニーズイズムの継承でもあるのです」(前出・芸能関係者)  2019年7月、ジャニー氏が逝去すると木村は『AERA』(2019年12月30日・2020年1月6日合併号)で継承の決意をこう述べた。 《ジャニーさんがどういうふうに受けとってくれるかはわからないけれど、歌に関しても、作品の現場においても、彼の死によって、自分がよりしっかりやらなきゃと思うようにはなっています》  芸能の世界に足を踏み入れ35年。「キムタクブーム」に始まり、さまざまなムーブメントを起こしてきた木村は、50代になっても人気は衰えることなく、第一線で輝き続ける稀有な存在だ。間違いなくジャニーズにおける重要なタレントと言える。しかし、そんな木村にも、この渦中で退所情報が飛び交った。 […]

トヨタが新型「ハチロク」発表! なぜ「パンダトレノ」を完全再現? 「AE86」オマージュの特別モデルがカッコいい!

「AE86」をオマージュした特別仕様車とは?  TOYOTA GAZOO Racing(以下TGR)は、同ブランドがラインナップする「GR86」の特別仕様車として「RZ“40th Anniversary Limited”」(以下、40周年記念車)を限定販売します。    2023年は、GR86の前身ともいえる「AE86(カローラレビン/スプリンタートレノ)」のデビューから40年が経過した節目の年にあたり、そのため、40周年を記念した特別仕様車が登場したというわけです。  40周年記念車は最上級グレード「RZ」をベースとし、ストライプのサイドデカールやトランクスポイラー、ドアハンドルをブラックで統一するなど、AE86をオマージュしたパーツを装備。 【画像】「えっ…!」 カッコ良すぎる! これが新型「パンダトレノ」です! 画像を見る(33枚)  黒いサイドデカールは現行モデルのスタイリングに合わせたストライプとしたほか、「SINCE 1983 40TH」というフォントはAE86で使用されていたのと同じものを使用するなど、こだわりのデザインを実現しています。  加えて、18インチホイールは黒く輝くダークグレーメタリックが施されました。  内装も「AE86 GTアペックス」をイメージし、ブラック基調に赤のアクセントカラーを施したほか、ドアパネルにも当時のフォントで40周年記念を示す刺繍が入れられています。  赤いステッチ入りのステアリングは、通常グレードで赤内装を選択したときに装着されるものと同じですが、ブラック内装に対しては初めて採用。シートはサイド部やステッチを赤としながら、パーフォレーションとアクセントはブラックとなっている点も40周年記念車のみの特別なデザインです。  また、VSCやエアコンの操作スイッチ、助手席前に横一文字で入るインストルメントパネルモールもキャストブラック塗装となり、通常グレードのシルバー塗装とはひと味違う精悍な印象となっています。  さらに、フロアマットもこの40周年記念車のために作られた特別なデザインとし、赤い縁取りと40周年記念のロゴが入れられました。  数々の特別装備が追加された40周年記念車ですが、トランクスポイラー、サイドデカール、フロアマットは販売店装着オプションとして設定。このオプションは40周年記念車を購入した場合のみに選択可能となっており、それ以外のモデルでは手に入れることができない貴重なものだといいます。  ボディカラーは「クリスタルホワイトパール」と「スパークレッド」の2色を設定。  漫画「イニシャルD」のイメージもあり、AE86は通称「パンダトレノ」が有名となったことから「白×黒」を好む人も多いのですが、当時は赤×黒のモデルも人気でした。  TGRの開発者は、「イニシャルDに親しんでいた世代は白いハチロク、それより前の世代は赤いハチロクに思い入れがあることから、今回は白と赤のカラーを用意しました」と説明します。  実は、40周年記念車には、「AE86」や「トレノ」といったロゴは一切入っていないというのですが、当時のAE86を彷彿とさせるストライプやフォントなどをさりげなく盛り込んだところに、デザイナーのこだわりが反映されているそうです。  この40周年記念車では、ブレンボ製のベンチレーテッドディスク/赤いキャリパー、ザックス製のダンパーが装着されます。  先代モデルの「86」にもブレンボ製のブレーキの設定があったのですが、現行モデルでも装着してほしいという声が多く、心待ちにしていたファンの期待に応えるかたちで実現しました。  足回りの装備についてトヨタ自動車 GR車両開発部 主管 藤原裕也氏は、「サーキットを走り込んで開発しました。これまでのGR86が持っていたスポーティさはそのままに、乗り心地も高めた“欲張りなセッティング”になっています」とコメント。  ブレンボのブレーキとザックスのダンパーは、40周年記念モデルは標準装備、「RZ/SZ」グレードはメーカーオプション設定されます。  そして、40周年記念車の設定とともにGR86の一部改良がおこなわれ、MT車にも運転支援システム「アイサイト」が搭載され、プリクラッシュセーフティや追従機能付きクルーズコントロール(ACC)などによって安全性能と快適性能が向上しました。  なお、アイサイトの機能は一時的にオフにすることも可能です。GR86でサーキット走行をおこなうユーザーも多く、アイサイトが不要になる場面も考慮されています。 ※ ※ ※  GR86 40周年記念車の価格(消費税込)はMT車が382万2000円、AT車が392万円です。  200台限定の抽選販売となり、2023年9月25日から10月9日までGR Garageを通じて商談予約の受付を実施。10月25日より商談が開始され、2024年2月頃に発売される予定です。

「開成から2浪東大不合格」進学校最下層の絶望 慶應に補欠合格、社会人になった彼の仕事は?

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は開成高等学校から2浪し、慶應義塾大学商学部に補欠合格。その後、2019年に慶應義塾大学の塾生代表(学生代表)になり、現在は海外ビジネスの仕事に関わっているMJさん(仮名)にお話を伺いました。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 開成卒の岸田首相も、2浪で東大合格が叶わず 関東の超名門、開成中学校・高等学校。2023年まで42年連続で東大合格者数1位のこの学校は間違いなく、日本を代表する超進学校と言えるでしょう。 【写真】42年連続で東大合格者数1位の、超名門校「開成中学校・高等学校」に合格したものの… 数多の著名人を輩出してきたこの学校の出身者で現在、ひときわ注目されている方と言えば、内閣総理大臣の岸田文雄さんが挙がります。もしかしたら皆さんも、岸田さんが日本一の東大輩出者数を誇るこの学校から2浪して、3年連続で東大に挑むも願い叶わず、早稲田大学に進学したという話は聞いたことがあるかもしれません。 実は今回インタビューしたMJさん(仮名)も、岸田さんのように2浪して、3年連続で東大に挑戦し、慶應に進んだ異色の経歴の持ち主でした。しかし彼は、持ち前のそのしなやかさで、浪人経験を前向きに受け止め、慶應の塾生代表になります。 浪人経験が彼に何をもたらしたのでしょうか。今回は、そんな彼の人生に迫ります。 MJさんは、父親がホテルマン、母親が専業主婦という家庭に生まれました。父親は大卒ではありませんでしたが、母親は1浪で青山学院大学を卒業し、教育熱心な家庭だったそうです。 「小学校でSAPIXと四谷大塚の両方に入って、中学受験の勉強をしました。それ以外にもロボット塾や速読教室など、小学校時代に通った塾を数えると15~16個くらいになります」 小さい頃からつねに勉強する環境で育ったMJさんは、算数オリンピックでは何年も連続で決勝に残るなど、持ち前の才能をフルに発揮し、通っていた公立小学校でいちばんの成績だったそうです。 中学受験では筑波大学附属駒場中学校に惜しくも届かなかったものの、そのほかに受けた4校には合格し、開成中学校に進学しました。 開成合格で切れたガソリン 順風満帆に見えるエリート人生。しかし、彼や彼の家族にとっては、この開成合格が1つの転機だったそうです。 「僕を中学受験の塾に通わせるために、多額の借金ができてしまったんです。母親は専業主婦だったのですが、共働きせざるをえなくなり、これ以上教育にお金をかけられないという状況になりました。また、僕自身も開成合格がゴールだと思って勉強していたので、(緊張の糸が)プツンと切れてしまいました」 中学1年生の最初の中間試験では、クラス43人中42位という順位に終わってしまったMJさん。それでも、その結果に悲壮感はなかったそうです。 「勉強しなくても大丈夫だと考えていました。開成に入ったら東大に行けるだろうと、勝手に思っていたんです。それで遊んでいたから、いつの間にかちょっとやそっとじゃ追い付けない差ができてしまっていました。よくよく考えたら、街の小学校でいちばんの人間が集まっている学校だから、入ってからも頑張らないといけなかったんです」 開成では、ただでさえ優秀な人たちがものすごく勉強していたそうです。MJさん自身も頑張ろうという気持ちはありましたが、一度緩んでしまった気持ちをなかなか立て直せずにいました。 年々周囲との差が開いていってしまったMJさんは、「堕落してしまいました」と当時を振り返ります。 「部活の大会が終わった中3の後半から暇になったので、秋葉原や池袋に行って遊戯王カードの売り買いをしていました。周囲は模試で1位をとっているときに、僕は遊戯王の大会に出ていたんです。勉強で勝てないから、せめてほかで勝ちたいなと思っていました」 中学3年間の試験の順位はずっと290/300位だったMJさん。高校に上がってから新たに100人が入学するも、その100人にそのまま抜かれて学年390/400位が定位置だったそうです。 運動会の団長に立候補したが… 周囲にどんどん置いていかれて焦っていた高校生活の中で、MJさんに2つ目の転機が訪れます。 「僕はもともと運動会の盛んな開成が好きで、その団長になりたくて開成に入ったという理由もあります。だから、高2の6月に次年度の団長を選ぶ選挙に立候補しました。 開成で崇められる人は2パターンあるんです。1つ目は勉強ができる人。2つ目はカリスマ性がある人でした。後者は成績が悪くても一目置かれる人です。周囲を統率する運動会の団長がまさにそれに当てはまったので、自分もそうなりたかったんです」 団長になるのは高校3年生になってからです。毎年5月に行われる運動会が終わった翌月に、高校2年生が次年度の団長に立候補して、選挙が行われます。高2になったMJさんも立候補したのですが、残念ながらその目標はかないませんでした。この挫折がきっかけで彼は、学校に行けなくなってしまったそうです。 「僕は勉強ができる人間でも、カリスマ性がある人間でもないことがわかりました。その瞬間に頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、家にこもってネットばかりしている人間になってしまったんです。開成のことも同級生のことも好きなんですが、自分のことが好きになれずにくよくよした6年間を送ってしまいました」 こうして最終学年を迎えたMJさんは、何に対しても気力が沸かず、模試も受けないまま受験に臨みます。 「現役はもう落ちることがわかっていたので、親に受験料を抑えてほしいと言われて東大しか受けませんでした。センター試験は500/900点で、足切りを回避するために文科I類を受験して、落ちました」 こうして現役時の受験が終わったMJさん。浪人を決断した理由は、「目的はなかったものの、受験せざるをえない状況だから」だったそうです。 「進学校の最下層は夢がないんです。僕も、周囲が受けるから流されて東大を受けて、周囲が半分くらい浪人しているから浪人するという感じでした。小学生のときからレールの上を走らせてもらっているから、主体性がないのに、プライドだけは高くて人の意見を聞かない人間でしたね」 こうして1浪を決断したMJさんは、春までは早朝の搬入のアルバイトをしながら宅浪をしていました。 「家や、学校、塾しか経験していなかったので、社会との接点がほしかったんです。家でも日中1人でいるので料理を作ることにはまりました。でも、その結果、勉強がおろそかになってしまったんです。6月くらいになってようやく、1人では自制ができないと思って、両親には『将来絶対(予備校代を)お返しします』とお願いして、河合塾新宿校に入れてもらいました」 模試はE判定ばかり、9カ月で変われず こうして6月途中に予備校に入ったMJさんでしたが、納得がいくほど、根を詰めて勉強できなかったそうです。 「それなりには勉強しましたが、模試はE判定ばかりでした。センター試験は700/900点で前年よりは上がったんですが、目指していた東大に行くには難しい点数です。センター利用入試で出した大学(MARCHのうちの1校)は合格したんですが、出願した東大文IIにはこの年も落ちました。6年間自分に対して甘かった人間だったので、9カ月では変われなかったんです」 こうして1浪の生活を終えたMJさんは、合格した大学を辞退して、ふたたび東大を狙うために2浪を決断します。 「東大でやりたいことはありませんでしたが、周囲が行きたいところだし、開成に入ったからには東大に行かないとまずいという感じでした。親も『お前はできる』と信じてくれていて、東大を目指してほしいようだったので、なんとか今年で決めたいと思っていました」 MJさんは、今までの受験で落ちた理由を「自分自身をマネジメントする力が足りなかった」と反省したそうです。 「好きな数学はいくらでもできるけど、苦手な英語に向き合わなかったんです。頭の中でも、英語をやっているほうが全体の点数が伸びるのがわかっているんですが、数学のほうが好きだからついやっちゃうんです。勉強している自分に酔うくらいじゃないと浪人をやっていられませんでした。数学で満点をとる自分に酔っていたんです」 しかし、そのような頑なだった姿勢を改めたのもこの2浪目だったと言います。すでに大学生になっていた友達に心配されたことから、苦手なことにも向き合っていこうという意識が芽生えました。 周りに心配をかけていたことに気がついた 「小学校で同じ塾に通っていた同級生に、『大丈夫?生きてる?』と生存確認をされたんです。返事をしたら『もう会えないかと思った』と返ってきて。それで自分は周囲に心配をかけるくらいの立場になってしまったんだ、と危機感を覚えました。 それから僕は、携帯電話を封印し、2浪目に入ってから東大受験が終わる日まで300日以上、土日関係なく朝の7時半に自習室に行って21時まで勉強を続けるという日々を送りました。このままだと世の中から消えてしまうと思っていたので、必死だったんです」 「自分が地の底にいるんだという自覚が芽生えたので、腹をくくって勉強を頑張れました」と2浪目の当時を振り返ったMJさん。 その甲斐あって、秋や、直前に受けた模試では東大のC判定までたどり着いたそうです。受けたセンター試験は750/900点。現役時に70/200点だった英語も160/200点まで上がって、全体的に点数を底上げすることができました。 「得意の数学で点が取れれば、ギリギリ東大と戦えるかなと思っていました」 しかし、結局2次試験も手応えがなく、3回目の不合格を突きつけられたMJさん。後期試験で受けた横浜国立大学と、補欠で繰り上がった慶應義塾大学の商学部で悩んだ末に、慶應に進むことを決めました。 「早慶は対策していたので、受かったら行こうと思っていました。早稲田は1個も受かりませんでしたが、慶應になんとか合格できたのでよかったです。僕のような夢のない人間は、人が多い大学に行くほうが潰しがきくと思ったので」 東大には入れませんでしたが、悔いのない浪人生活を送れたMJさん。 浪人してよかったことを聞くと「人間として丸くなれた」との答えが返ってきました。 「2浪目以降、河合塾の講師や、ほかの生徒から受け答えが面白いっていじられるようになったんです。答えを当てても外してもなぜか笑いが起きるっていう謎ポジションにいて。 浪人していた友達から、『反応が変で笑った後、勉強に集中できてよかった』と言われて、自分みたいな人間でも人の役に立てて、生きてきてよかったなと思ったんです。中高時代の自分はプライドが高く、感謝されることがなかったので、浪人のアットホームな環境が、人間性を育ててくれたと思っています」 […]

蜜月関係が終焉…ジャニーズ事務所の言いなりだった”お抱え芸能リポーター”が支払う「高すぎる代償」

9月7日、藤島ジュリー景子氏、東山紀之、井ノ原快彦らが登壇した「ジャニーズ事務所」の記者会見で、受付時間の2時間以上も前から会見場だった都内のホテルに集合していたのは、ワイドショーでお馴染みの芸能リポーターたちだった。その中には業界で“ジャニ担”と呼ばれているリポーターたちも顔をそろえていた。 そして彼らは“慣例”にのっとり、いつものように会場の最前列に鎮座し、質問する機会を伺っていたのだったが……。どういうわけか、女性司会者が最初に指名したのはリポーターではなく、中ほどの列に座っていた記者だった。 「司会者や仕切っていたPR会社が“不慣れ”でなければ、真っ先に最前列のリポーターたちが指名され、ある意味わかりやすい展開になったのではないでしょうか。しかし司会者の指名はその後もバラバラで、座っているブロックや『茶色いジャケットの方』『メガネをかけた方』など見た目の特徴で当てていったため、ジャニ担の芸能リポーターにとっては、勝手が違ったので、かなりイラついていました。 また、ジャニーズのタレントが出演する舞台や映画の発表会見といった、これまでのジャニーズの定例会見と異なっていたのは、テレビ誌やアイドル誌編集部に在籍する”ファン“という名の女性記者たちも居なかったことです。もしも彼女たちが居たならば、年内で芸能界を引退するという東山に対する質問がもっとたくさん飛んでいたことでしょう」(スポーツ紙記者) 事実、会見では女性芸能リポーターだけが、「個人のファンクラブができたばかり」「舞台もある」「ディナーショーもある」などと東山のタレントとしてのスケジュールに言及していた。本来ならば、その後も彼らの質問が続いたはずだが……。 ジャニーズ“お抱え”リポーターはこれからどこへ? 在京キー局のワイドショーに常設されていた『芸能コーナー』がなくなってから10年以上が経つ。テレビ朝日では、『羽鳥慎一モーニングショー』が真っ先に芸能コーナーを廃止。芸能ニュースを紹介するレポーターの姿を目にすることはなくなった。 ここ数年、ジャニーズ関連以外の芸能会見では、ディレクターや記者がマイクを持ってリポーターの代わりをするのが当たり前となっていた。しかし、ジャニーズだけは絶対に女性リポーターを揃えたがっていた。 「ジャニーズには、アイドルの周りを女性リポーターが囲み、終始、黄色い声と笑顔で溢れた会見にするという古い慣習がずっと根付いていました。幕間にジャニ担のリポーターだけを別室に呼び、豪華な弁当を振る舞い、事前に用意された質問をリポーターたちに渡していまいた。“台本通り”に会見を進めてもらうためです」(民放情報番組関係者) そんな“お抱えリポーター”たちは、今回のように犯罪性、社会性が認められるようなものでなければジャニーズのスキャンダルを扱うことは決してしない。 「初めからテレビ局もスキャンダルを扱うつもりはないから仕方ないですが、彼らの役割はジャニーズの“よいしょ”です。ただその見返りはちゃんとあります。誕生日に胡蝶蘭などの“贈り物”が届いたり、ライブのチケットなども簡単に取れると聞きました。 タダにはならないようですが、プラチナチケット化している東京ドームのボックス席や最前列に座れるジャニ担のリポーターたちに、タレントたちが“ファンサ”(ファンサービス)をしにやってくるので、ライブ中も優越感に浸れるというわけです。事務所のチケット担当者を“チケットぴあ”と呼び、重用していました」(前出・情報番組関係者) しかし、そんな時代は完全に終わりを告げたと言っていいだろう。所属タレントたちの新規の仕事のリリースがほとんどなくなり、事務所自体も風前の灯火ともいえるなか、ジャニ担のリポーターたちは、これからどこへ行くのだろうか……。 「キー局の仕事は激減すると思いますが、彼らは地方のワイドショーでレギュラー出演しています。ジャニーズのネタをやれば数字が取れる。一定層のジャニーズファンからの支持もありますから、彼女たちがジャニーズから離れることはないでしょう」(芸能事務所幹部) これまでジャニーズの恩恵を享受していたテレビ局やスポンサーがこぞって掌を返しているが、はたして彼らはどうするのだろうか……。

東京ディズニーリゾート、粉末調味料5144セットを自主回収

 東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドは30日、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーで販売したパック入り粉末調味料に、成分表示に表記されていないアレルゲンの乳成分が含まれている可能性があるとして、販売した5144セットを回収すると発表した。健康被害の申し出はないという。  回収する商品は、食事券やドリンク券がセットになった「シーズナルグルメチケットセット」(税込み4000円)に含まれる粉末調味料の「トリュフ塩(白色)」と「マロングラッセシュガー(茶色)」。東京ディズニーリゾートの飲食施設で9月1~29日に販売された。  オリエンタルランドによると、乳成分の含まれるマロングラッセシュガーが、乳成分の含まれないトリュフ塩用のパックに誤って詰められているケースがあるという。オリエンタルランドは、この商品について「乳アレルギーをお持ちの方は直ちに喫食をおやめください」と呼びかけている。  商品回収に関する問い合わせは、東京ディズニーリゾート特別対応窓口(0120・131・676)。10月1日以降、午前10時~午後5時に受け付ける。

新築マンションに住民が知らぬ擁壁 費用5千万円は誰が負担するのか

 盛り土や崖の崩壊を防ぐための「擁壁(ようへき)」が崩れる事故が近年、全国で相次いでいる。老朽化や管理不全などのためで、死者が出たケースもある。所有者による日常の管理が欠かせないが、存在が知られないまま放置され、撤去に多額の費用がかかる例も出ている。 【画像】マンション敷地内にあり、ひびが確認された擁壁  横浜市港南区の京急上大岡駅から勾配のある坂を20分ほど歩くと、坂の頂上の一角に白い外壁のマンションが見えてくる。2013年完成の7階建てで、8千平方メートル以上の敷地に建ち、100世帯以上が暮らす。  22年1月、マンションの管理会社を変更するための見積もりで、敷地内を調べていた新しい管理会社の担当者から、マンション管理組合の理事はこう言われた。「古い擁壁を撤去して欲しい」  指摘された場所に行くと、隣接する老人ホームとの間に幅約1メートルの通路があり、高さ3~5メートル、長さ約30メートルの石積みの擁壁があった。道路に面した入り口の扉は常時施錠され、擁壁と反対側はフェンスで覆われている。マンション入り口と反対で、理事らも初めて入る場所だ。 ■1960年代のものと推定 内部に空洞二つ  重要事項説明書に記載はなく、大半の住民が存在を知らなかった。住民が依頼した専門業者の調査で1960年代のものと推定され、内部に空洞が二つできているとされた。連絡を受けた横浜市は調査でひび割れなどを確認し、改善を図るよう文書で通知した。  崩落事故などで被害が出た場合、所有するマンション住民らが責任を負う。一方で、補修には1千万円ほど、造り直すには5千万円以上の費用が必要になる。

龍神NIPPONはなぜ強くなった? 石川祐希が導くサクセスロード

 「龍神NIPPON」の愛称で親しまれるバレーボール男子日本代表が強い。6~7月に行われたネーションズリーグで3位に入り、主要国際大会としては46年ぶりのメダルを獲得した。強さの理由を探った。  まさに破竹の勢いだ。今季はネーションズリーグの1次リーグで10連勝。8月のアジア選手権でも、決勝でライバルのイランにストレート勝ちし、3大会ぶりの優勝を果たした。  主将の石川祐希選手(ミラノ)は「自分たちのバレーが確立され、やるべきことができれば勝てるという自信につながっている」と話す。  四半世紀前からの男子バレーの低調からすれば、信じられないような状況だ。  1996年アトランタ・オリンピックから2016年リオデジャネイロ五輪までの6大会で、出場できたのは08年北京五輪のみ。それも、1次リーグ5戦全敗に終わった。  変化への種は、若手の積極起用によってまかれた。  低迷していた14年、代表監督に就任した南部正司・現男子強化委員長は「若い選手の成長は環境次第で大きく変わる。将来を見据え、大学生年代に代表レベルを経験させることが五輪のメダル獲得につながる」と考えた。石川選手ら若手有望選手4人を「NEXT(ネクスト)4」と名付けて売り出した。  リオ五輪の出場権は逃したが、石川選手や山内晶大選手(パナソニック)、関田誠大選手(ジェイテクト)ら、その後に中核となる選手が経験を重ねた。  芽生えた変化への種をさらに成長させたのが、17年に代表コーチに就いたフランス人のフィリップ・ブラン氏(現監督)だ。  現役時代は世界選手権のMVP(最優秀選手賞)を獲得した名選手で、フランス代表監督やポーランド代表コーチなどを歴任した。  中垣内祐一監督(当時)から戦術や練習を一任されると、サーブで相手の攻撃の選択肢を減らした上でブロックとレシーブの関係性を構築して守る「トータルディフェンス」、中央からのクイックとバックアタックを絡める「4枚攻撃」など世界のトレンドをチームに浸透させた。  19年のワールドカップは他のチームがベストメンバーでないという事情もあったが、4位と躍進した。21年夏に行われた東京五輪は、29年ぶりの8強入りを果たした。  すると、さらに個々が丈夫な「幹」を目指すため、「個の力」を伸ばそうと取り組んだ。  大学在学中からイタリア1部リーグ・セリエAに挑戦してレベルアップしてきた石川選手に触発され、東京五輪後、高橋藍選手(日体大)、西田有志選手(パナソニック)、関田選手、宮浦健人選手(パリ・バレー)がイタリアやポーランドの海外リーグに渡った。  海外クラブでプレーする効果について、石川選手は「慣れない環境でストレスを抱えながら結果を出さないといけない。それを乗り越えることで、どのような状況でもパフォーマンスを発揮できるようになる」と語る。  試合の勝負どころでも精神的に余裕があり、もう一段ギアを上げることができる。ネーションズリーグでは3位決定戦のイタリア戦も含めて、フルセットの試合で強さを発揮した。  さらに控えも含めた選手層も厚くなった。宮浦選手ら交代で投入される選手の活躍が目立ち、高橋藍選手は「誰が出ても強い日本を出せる」と胸を張る。  パリ五輪の男子予選が30日に開幕した。予選前の最新世界ランキングでは5位で、2位の米国に次ぐ位置だ。  それでも慢心は一切ない。  石川選手は「特別な雰囲気の五輪予選で同じようにいくとは思っていない。全力を出して切符をつかみにいく」と覚悟を決め、コートに立つ。【小林悠太】

細田衆院議長が辞意、地元「本人はもう一回選挙に出るだろう」「周りにその雰囲気なければ…」

 細田衆院議長(島根1区)が体調不良を理由に議長を辞任する意向を固めたとの報道が伝えられた29日、島根県政界に驚きが広がった。細田議長は次期衆院選に出馬する構えだが、自民党県連内では出馬を不安視する声もささやかれる。  県連の細田重雄会長は読売新聞の取材に応じ、細田議長から連絡はないとした上で「体調不良で、衆院議員の皆さんや岸田首相に迷惑をかけたらいけないとして『臨時国会が始まる前に』と考えたのではないか」とみる。次期衆院選については「本人はもう一回出るだろう」と述べつつ、10月4日に上京して細田議長と面会し、真意を確かめるとした。  また県連の絲原徳康幹事長は記者団の取材に「あまりにも突然なことで戸惑っている」と困惑気味。「三権の長として議会で大活躍されておられるし、中山間地問題や離島問題についても力を注いでいただいた」と強調したが、次期衆院選の対応については「直接聞いていないので分からない」と述べるにとどめた。  複数の県連関係者によると、辞任報道が伝えられる直前、島根1区の自民県議による選対会議が開かれた。辞任について話は出なかったが、細田議長が体調不良を理由に、8月の全国戦没者追悼式や今月の先進7か国(G7)下院議長会議を欠席したことから「次の選挙は相当な覚悟で戦わないとだめだ」との意見が出たという。ある自民県議は「選挙は、本人が『やる』と言っても、周りにその雰囲気がなければ難しい」と漏らした。

タクシーが急ブレーキ繰り返し、後続トラック妨害…窓から警棒出し地面にたたきつける様子も

 茨城県警は29日、茨城県日立市の元タクシー運転手の男(67)を道路交通法違反(あおり運転)容疑で逮捕した。  発表によると、男は今月19日午前10時20分頃、日立市鮎川町の国道6号をタクシーで走行中、後続のトラックの通行を妨げる目的で、急ブレーキを繰り返した疑い。容疑を認めている。国道に合流した際、トラックにクラクションを鳴らされたことに腹を立てたという。  トラックを運転していた同市の男性(58)が110番し、県警がドライブレコーダーの映像などを調べていた。男は車窓から警棒を出して、地面にたたきつけるしぐさも見せていたという。

ロシア軍の死者、侵略開始以降「27万人超」…直近1日でも340人死亡とウクライナ軍発表

 ウクライナ軍参謀本部は29日、ロシアの侵略開始以降、露軍の死者が27万7660人に上ったと発表した。ウクライナ軍は東・南部やロシアに併合されたクリミアで反転攻勢を強めており、直近の1日でも露軍の340人が死亡したとしている。  発表によると、露軍は4687台の戦車を失い、536基の防空システムが損害を受けた。装備品の損失も拡大している模様だ。  両国の攻撃の応酬は激しさを増している。ウクライナメディアによると、同国保安庁関係者は、露西部クルスクで29日、ウクライナ側が無人機攻撃を行い、レーダー基地を破壊したと明らかにした。  これに対し、露軍は29日、ウクライナ南部ヘルソン州やミコライウ州など各地を攻撃した。ウクライナの英字ニュースサイト「キーウ・インディペンデント」によると、28日~29日朝の砲撃などで6人が死亡、13人が負傷した。

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