Thursday, March 30, 2023

杉原千畝の「命のビザ」が救ったのは2500人だった ロシアの研究者、シベリア鉄道の乗車記録に着目

 第2次大戦中、ナチス・ドイツが迫る東欧リトアニアで、日本の外交官杉原千畝(ちうね)らが発給した「命のビザ」で救われたユダヤ人難民の数は約2500人だったとする研究結果を、ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授(68)がまとめた。難民が利用したソ連・シベリア鉄道の乗車記録に着目し、「命のビザは6000人を救った」とする従来の推論を退けた。モスクワで10日に開くシンポジウムで発表する。(カウナスで、小柳悠志、写真も)

◆難民の多くは現ベラルーシ出身

 日本外務省の記録によると、リトアニア・カウナスの領事館に勤務していた杉原は2139通のビザを発給。当時のビザは1通で子どもらの分も有効だったため、ソ連と日本を経由、第三国に逃れた難民の数はビザ発給数を大きく上回るとの期待があった。難民の多くはポーランド東部(現ベラルーシ)出身だった。

 ただ、アルトマン氏がソ連国営旅行会社インツーリストや運輸当局に残る1940〜41年のシベリア鉄道の発券記録をたどったところ、ソ連西部から極東ウラジオストクまで移動し、日本に渡った難民は、子ども93人を含めて2500人前後にとどまった。シベリア鉄道は当時、極東に移動するための事実上唯一の手段だった。

 ソ連政府は多数の難民が通過することを渋ったが、インツーリストにとっては難民の旅行あっせんで外貨を獲得する好機だった。政府も経済的な打算から最後は難民通過を認めたという。

 命のビザを顕彰するカウナスの「杉原記念館」によると、杉原がカウナスを去った後、ユダヤ人らは杉原の筆跡をまねて数百通の偽造ビザを作成した。アルトマン氏によると、モスクワの在ソ日本大使館でも、ユダヤ難民のために数十通のビザを発給していた。

 難民がウラジオストクから日本に渡る際、駐ウラジオストク総領事代理の根井三郎(宮崎市出身)や、JTBの前身「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」も関わったことが、これまで本紙で報じられている。

◆偽造ビザ所持やビザ不携帯者にも難民支援

 アルトマン氏によると、ユダヤ難民のうち74人は偽造ビザ所持やビザ不携帯が日本で発覚、ソ連に逆送されたが、ウラジオストク総領事館はビザを発給し、再びの日本行きを助けた。人道的理由による難民支援と考えられている。

 「命のビザを巡っては、真偽不明の『神話』が多かった。今回の研究成果で多くの事実を提示できる」とアルトマン氏。シンポジウムでは北海道大との共同研究に基づき、戦後の杉原の活動も報告する。

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