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【写真】やましたさん家のリビング。ソファや床に物を置かず、水平面が見える
いるだけで元気が満ちてくるリビングとは
運=神様だとしたら、運も神様も「明浄(めいじょう)な空間」を好みます。明浄とは、明るく清らかなこと。神道では「明浄正直」が理想の心のあり方とされており、私は神様を祀る神社のような空間づくりを目指しています。
いろいろなお宅を訪問すると、明浄の「明」すら確保されていないお宅も少なくありません。あるお宅はリビングのカーテンを閉めきったまま、薄暗い中で生活をしていました。
「いつからカーテンを開けていないのですか?」とたずねると、なんと「10年前から」とのお答え。きっと10年前に思い出したくない何かがあり、それ以来、部屋を暗くして、見ない、見えないようにしていたのでしょう。
断捨離はカタチあるモノを通して、自分の意識を「見える化」すること。あなたの見えない運気は、あなたのカタチのない運勢は、住まいのありさまでちゃんと可視化されているのです。
私はリビングに入るなり、窓の前に鎮座する荷物の積みあがったソファを乗り越え、カーテンを開けました。光が差し込むと視界が広がり、同時にホコリも見えてきます。そう、自分たちがホコリの中で生活していることに気づかなかったのです。「ホコリでは死なない」と言う人がいますが、このありさまは人生の運気を殺しているとしか思えません。
断捨離は、見ることから始まります。
そのうえで、不要・不適・不快を取り除く「お祓い」をし、掃く・拭く・磨くで「お清め」をする。このくり返しです。
明るさは、明浄な空間への第一歩。やさしい光が差し込み、やわらかい風が流れる明るいリビングをつくりましょう。
床が見える割合と「お金持ち度」は比例する
3つの平面にモノを置かない――これは断捨離の掟です。床の上、テーブルの上、カウンターの上。ここをいつもスッキリ、ゼロベースにしておきましょう。
水平面にはモノを置くという「お役目」はありません。床には歩く・くつろぐというお役目が、テーブルには食事する・作業するというお役目が、カウンターには配膳するというお役目があります。
水平面があると、つい「ちょい置き」したくなるもの。1つ置くと2つ、2つ置くと3つモノを置きたくなる、積み上げたくなるのが私たちの習わし。そうやって無自覚のまま、大量のモノに囲まれて暮らすことになるのです。
いろいろなお宅を訪問して感じることは、モノに埋もれて床が見えなくなっているお宅ほど、経済的に困窮しているケースが多いこと。
行動が制限されることで人生を損なう
家の広さは問題ではありません。
立派な家でも家具やモノが隙間を埋めるように置かれ、窮屈な暮らしを強いられていることもあります。
逆に小さな家でも隅々までケアがされ、スッキリと美しい暮らし方をしていることもあります。
床が見えないほどモノが置かれていたら、光や風の通りは遮られ、掃除もままならず、行動が大きく制限されてしまいます。
これが自分自身を萎えさせ、生活を消耗させ、人生を損なわせていくのです。もちろんお金の流れも滞ります。
と言ってもいいでしょう。そう、豊かさは空間から生まれるのです。空間とは余白のこと。余白が余地を生み、余地は余力を生みます。余力とは生きるエネルギーのこと。
だからこそ、余白づくり、平面づくりから。ただちに床からモノを撤去しましょう。
ソファの「要・不要」を判断する障害物
リビングの床にあるモノの代表格はソファです。広いリビングであれば問題ないのですが、狭いリビングだったらソファは障害物になってしまいます。
ホテルのロビーを想像してください。ソファは壁にペタッと押しつけるものではありません。まわりをぐるっと回れてしかるべきもの。後ろに空間が与えられないのであれば、ソファを置いてはなりません。障害物とは、つまり運の障害物です。
という式が成り立ちます。自分の運を損なうモノは、すなわち自分を縛るロープと考えてもよいでしょう。余計なモノ、邪魔なモノ、必要のないモノがたくさん溜まっていることは、ロープが太いということ。それが長期間であればロープが長いということ。太くて長いロープが自分をグルグル巻きにしていたら、どんな心地がしますか?
もう1つロープで表現するのなら、ロープの材質は執着の度合いです。登山用のザイルのように強い材質だったら、自分で断ち切ることはできません。つまり「運が悪い」ということは、縛られているということ。自分の身が縛られている状態にあるかどうかは、モノの量と堆積期間の長さと執着の度合いに関係しています。
私たちが「運をよくしたい」と言うのは、つまり自由度を高めたいということ。
だとしたら、住空間の自由度を高めるために、障害物となるモノを抱え込んでいないかリビングの床を見渡してみてください。
※本稿は、『モノが減ると「運」が増える――1日5分からの断捨離』(大和書房)の一部を再編集したものです。