Wednesday, March 29, 2023

「特急が停まらなくなった」残念な私鉄駅の共通点 昔は停車していたのに…どんな理由があったのか

過去の時刻表を読んでみると、かつては私鉄特急の停車駅が少なかったことに驚く。

【関連する記事の写真】現在の日光・鬼怒川エリアへの特急「スペーシア」。丸みを帯びたボンネットの内側には何がある?機器がびっしり並ぶ“秘密の部屋”を独占取材!

関東の私鉄では東武の浅草と日光・鬼怒川方面を特急のほとんどは浅草から下今市までノンストップ。当時急行だった「りょうもう」も浅草の次は館林だった。

名鉄では本線を走る特急の停車駅が、新岐阜、新一宮、新名古屋、金山橋、神宮前、知立、東岡崎、豊橋と現在の快速特急より3駅少ない。

関西の私鉄のページを見ても、阪急京都線の特急が大阪市内の十三から京都市内の大宮までノンストップ。阪急神戸線の特急の停車駅は梅田・十三・西宮北口・三宮のみ。京阪の特急も阪急同様大阪市内の京橋から京都市内の七条までノンストップ。近鉄の難波と名古屋を結ぶ毎時00分発の特急も大阪市内の鶴橋と近鉄名古屋の間はノンストップだった。

と、停車駅の少なさばかりに目が行ってしまいがちだが、よーく調べるとわずかだが、特急がかつては停車していたのに停車しなくなったケースも。

そこで今回は、普段より時刻表ばかり眺めている筆者が見つけた「特急が停まらなくなった駅」を紹介。停車駅が増加傾向にある時代になぜ停まらなくなったのかを検証する。

隣の駅に特急が停車

【芦ヶ久保駅 西武秩父線 2003年まで停車】

西武鉄道の特急「レッドアロー」が誕生したのは西武秩父線が開業した1969年のこと。池袋と西武秩父を結ぶ特急のデビュー当初の停車駅は池袋、所沢、飯能、西武秩父で、休日は所沢を通過していた。

1973年に特急停車駅となると、駅周辺に「あしがくぼ果樹公園村」や「あしがくぼスケートリンク」がオープン。駅前を流れる川には「あしがくぼ渓谷国際釣場」も完成。休日は特急を利用して芦ヶ久保を訪れる人の姿も多くみられたが、1998年、隣の横瀬への特急停車を機に土休日に運転される2往復以外は芦ヶ久保を通過するようになった。そして2003年、すべての特急が通過。観光シーズンに一部列車が停車する駅となった。

【向ヶ丘遊園駅 小田急小田原線 2018年まで停車】

1935年より運行されている小田急の特急は、長らく新宿―小田原間をノンストップで走っていたが、1966年に初の途中駅停車タイプの特急が登場した。「さがみ」と名付けられた列車の停車駅は新宿、向ヶ丘遊園、新松田、小田原となった。

向ヶ丘遊園は、当時駅から徒歩15分ほどの場所にあった遊園地の最寄り駅。「さがみ」が登場する1カ月ほど前に小田急の駅と遊園地の正門までを結ぶモノレールが開業したことから、遊園地の利用客に展望席のある特急車両「ロマンスカー」を楽しんでもらおうという意味合いがあったと思われる。

新松田は御殿場線の乗換駅。小田急と御殿場線を直通する列車はすでに運行されていたが、御殿場方面への観光客や、山北など丹沢方面のハイキング客の利用が多く、全車指定席の直通列車は満席の日も多かったのだろう。「さがみ」の新松田発着の時刻を見ると御殿場線との接続が考慮されていることがわかる。

観光客の利用を見越して特急停車駅となったが、2000年にモノレールが廃止、2002年に遊園地が閉園となると状況が大きく変化。2002年には特急停車駅にもかかわらず、向ヶ丘遊園を通過する湘南急行が登場。2004年には湘南急行に代わって向ヶ丘遊園を通過する快速急行が登場。特急が止まるのに特急券を買わずに乗れる列車が通過する駅となった。

一方の新松田は停車するロマンスカーが徐々に減少。御殿場線との連絡も特に考慮されないダイヤとなっていった。

そして2018年、向ヶ丘遊園と新松田に停車する特急が消滅した。ただ御殿場線との直通特急は現在も運転され、隣接する松田に停車するので、特急が停まらなくなったのは向ヶ丘遊園だけと言えるだろう。

釣り客のために特急を停車

【新古河駅 東武日光線 1940年代に停車】

1940年代、いわゆる戦前と呼ばれる頃の時刻表を見ると、東武日光線を走る特急の一部電車が新古河に停車している表記を見ることができる。

近くを渡良瀬川が流れ、すぐ下流に利根川との合流ポイントがあるこのエリアは、昔から多くの釣り客が訪れていた場所。おそらくレジャー目的の利用者に特急を使ってもらおうと停車させたと思われる。

現在、近くの板倉東洋大前もゴルフ場の利用客を見込んで特急を一部停車させているが、日光・鬼怒川エリア以外のレジャー客を取り込むという考えは当時から脈々と受け継がれていると言っていいだろう。

【平山城址公園駅 京王線 1960年代に停車】

1960年頃の時刻表、京王線のページに出てくる休日に運行されていた特急列車。停車駅は時代によって若干異なるが、すべての時代で共通して停車していたのが新宿、明大前、調布、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、平山城址公園、北野、東八王子(現・京王八王子)だった。

その後、1963年に特急の運転が平日にも拡大し、停車駅が新宿、明大前、調布、府中、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、東八王子となったことや、現在、北野に特急が停車することを考えると、平山城址公園は休日に異色の存在だ。

歴史を紐解くと、現在都立公園となっている平山城址公園は1954年、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が開設した公園。野猿峠を行くハイキングコースの利用にも力を入れており、その拠点となる駅が平山城址公園駅だったようだ。

【東中山駅 京成線 1991年まで停車】

1935年に競馬開催時に停車する臨時駅、中山競馬場前として開設。1953年に東中山と名前を変え、常設駅としてオープン。列車を追い越す設備や列車が折り返すことができる設備を整備し急行や準急などが停車。1960年代に特急が登場すると、特急停車駅に指定された。

京成小岩も1963年に列車を追い越す設備が完成。同じく特急停車駅に指定され、この駅で各駅停車との連絡が行われた。

だが1991年、成田空港のターミナルビルの真下に京成とJRの駅が完成すると、成田空港利用者をより多く取り込むため、特急のスピードアップを実施。東中山は京成小岩とともに特急通過駅となった。

ちなみに東中山は現在も中山競馬場で大きなレースが開催される際、特急が臨時停車している。

特急が停まらなくなった2つのキーワード

以上のことから特急が停まらなくなった駅には2つのキーワードがあることがわかった。

1つ目は「レジャー」。芦ヶ久保、向ヶ丘遊園、新松田、新古河はこれに当てはまるタイプと言えるだろう。

2つ目は「速達化」。東中山と京成小岩がこのタイプ。特急が停車しなくなる、というパターンはレアなケースだが、小田急の急行から快速急行への格上げなど、列車の名前の呼び方を変えることで対応するパターンは各地で見られる。

鉄道車両の加速、減速の性能が上がり、数駅停車しても旧型車両を使っていた頃と所要時間があまり変わらないことや、コロナによる利用者の減少で、鉄道各社はより効率の良い車両運用を求められることから、特急停車駅を減らすという流れは今後、ほぼ起こらないと思われる。だが、もしそんなことが起きたら、時刻表をめくり、ワクワクしながらその理由を推測したい。そんなことで休日の大半を過ごしているのが時刻表ファンという生き物なので。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

Would you like to receive notifications on latest updates? No Yes