「老後に貯金はいくら必要でしょうか?」 「貯金ではなく株式投資をやるべきでしょうか?」――。『ただの人にならない 「定年の壁」のこわしかた』を上梓した公認会計士の田中靖浩さんのところにはサラリーマンの方からこのような質問が多く寄せられるそうです。そんなとき、田中さんが提案するのは、「定年後も働く」という選択肢だそうです。
「中小企業に歓迎されると思った」50代男性の嘆き 早期退職し転職先探すも声がかからない会社員

まずは、こんな光景からご紹介します。
家に居場所がない経理マンの叫び
「ふざけるな!」
のどかな店内に怒気を含んだ声が響いた。たまたま居合わせた数名の客が心配そうにレジ前の様子をうかがう。自ら発した大声で河西の興奮はさらに高まる。
クレーマーとは何だ。あまりに失礼じゃないか。テーブル越しに睨みつけると、若い男性店員はうつむいたままだ。
「たいへん失礼をいたしました」
お詫びの言葉とともに店長が姿を見せた。何度もお辞儀を繰り返す店長。
まだ若いけれど、後ろの男性店員をかばう姿は、まるで母と息子に見える。型通りのお詫びをすませてから、店長はアルバイトからも事情を聞いた。
発端は河西が先日注文した書籍を、このアルバイトが取り置きを忘れて売ってしまったことだった。入荷の電話をもらってわざわざ来たのに肝心の本がない。そのうえ、「改めて注文しますので数日お待ちください」と言われて呆れた。
間違えたうえに、再度注文しろとはトラブル対応がなってない。許しがたいミスと対応だった。
「小さなミスから組織はダメになる」これは長年経理の仕事をしてきた私の信念だ。二度とこんなことが起こらぬよう、店と彼のためを思ってわざわざ言ってあげたのは私のやさしさなんだ。しかも、できるだけ穏やかに話した。それなのに、背中越しに聞こえた「クレーマー」の一言。これにカチンときて踵を返し、どういうことだとカウンター内を怒鳴りつけた。
一部始終を聞き、「誠に申し訳ありませんでした」と再び頭を下げる店長。
「そっちがミスしたくせに、クレーマー呼ばわりとはひどいじゃないか」
「ごもっともです。非はこちらにあります。でも、店員たちはお客様のことをクレーマーと言ったのではありません。ミスをするとクレームがつくから気をつけようと話しただけなんです」と言い訳した。
ちがう。明らかにクレーマーと言った。再び感情が高まった私は、店長に向かって1時間以上文句を言い続けた。店長はうなずきながら、黙って聞いていた。
「自分はこれっぽちの価値なのか」
河西敏夫54歳。妻、大学1年の息子と3人家族。
仕事は財閥系メーカーの経理部長。この肩書きは来年まで。そこで役職定年を迎えるため、来年春から部長から格下げになる。
役職定年に先立って早期退職の募集があった。河西はこの早期退職に応募するつもりだった。会社に居残るのはやめて、中小企業へと転職する。それができるのが経理職だと思っていた。工場の原価計算から決算・税務まで一通りの経理実務を経験した自分は、中小企業メーカーから歓迎されるはずだと信じていた。
しかし、その目論見はみごとに外れた。転職エージェントに誘われて登録したものの求人はごくわずか、しかも給料はお話にならない安さだった。
「自分はこれっぽっちの価値なのか」
河西は自分の甘さを思い知った。頭ではわかっていたが現実は格別だ。さらにショックだったのが、同期入社2人が転職を果たしたこと。営業と人事の彼らが転職できて、なぜ経理の自分はダメなんだ。
早期退職に失敗した頃から言い知れぬ無力感に包まれ、ささいなことでイライラするようになった。
「これから、どうなってしまうのだろう」
自分の処遇や仕事内容、そして収入に不安はつきない。役職定年になれば給料は3割も下がる。まだ息子の学費もあるし、住宅ローンも残っている。頼りの貯金もここ数年は減る一方。まるでわが身が削られるようだ。
金の心配だけで気分がふさぐというのに、さらに憂鬱なのが家庭のこと。
高い学費に耐え、家族のために買ったマイホーム。そのために毎日の長時間通勤と職場の理不尽に耐えてきた。
それなのに、わが家から会話が消え、自分の居場所がなくなってきている。ささいなことで不満が溜まるうちに家族との会話がなくなった。必要なこと以外話さない日々。妻と子どもは笑顔で冗談を言い合うが、私がその輪に入ることはない。これからずっとこんな寒々しい日々が続くのかと思うと気が滅入る。
私はいったい何のために働いてきたのだろう。何のために生きているのだろう?
いつものようにベランダへ出ると、河西は夜空を見上げながらため息をついた。
■50代の多くがかかえている問題
「誰もが長生きしたいと願うが、誰も老人にはなりたくない」
これはスウィフト『ガリバー旅行記』に出てくるセリフです。
18世紀のアイルランドを生きた人々も、私たちと同じく「老いへの恐れ」を抱いていたことがわかります。
そこから300年、私たちは当時より長生きできるようになりました。この先まもなく多くの人が「100年生きる」時代がやってきます。
しかし、平均寿命の物理的な長さは、質的な豊かさを保証してくれません。「老いへの恐れ」はむしろ大きくなり、ときに長生きが不幸を招くことさえあります。貧困・病気・家庭不和……そんな老後だとしたらたしかに老人になりたくありません。
書店で怒鳴った河西氏は架空の人物ですが、個々のエピソードはすべて実話に基づいています。
・早期退職の失敗
・役職定年への不安
・会話のない家庭
これらは決して人ごとではありません。50代の多くが抱えている問題です。
人生100年時代といわれる長寿時代のいま、これまで国がつくってきた各種社会保障制度がうまく機能しなくなってきました。
老人の面倒をみきれなくなってきた国は、会社へその面倒を押し付けます。高年齢者雇用安定法が改正され、会社は段階的に「定年の引き上げ」を行っています。しかし会社のほうにも余裕がありません。「雇用は守るが給料は保証しない」役職定年制度によってなんとか対応しているといったところ。
いつの時代にも起こる「誰が高齢者の面倒をみるか」の押し付け合い。それが日本でも起こっています。だからこそ、私たちはスウィフトの言葉に挑戦したいのです。「長生きして、明るく楽しく過ごす」——目指すべきはこれです。
いつまでも気の合う仲間と食べて飲んで働いて笑う。年下の人から「あんなふうに年を取りたい」と見本のように過ごす。そんな老後を目指したいもの。
その道のりは簡単ではありません。少し間違えると河西氏のような「不機嫌な老人」への道を歩んでしまいます。
それを避けるにはどんな準備をすればいいのでしょうか?
優雅な「年金暮らし」は過去の話
河西氏のような50代クレーマーが増えた背景には、高齢サラリーマンに対する会社の処遇が悪化している事実があります。
この国の会社は「雇用を守る」ことを大切にします。簡単に従業員をレイオフする欧米の会社と比べて、その家族経営的態度は立派ですが、しかしながら「雇用を守る」のは稼ぎがあるからできること。収益力が落ちた会社で「待遇は悪くなる」のは仕方ありません。
かつての栄華を誇った巨大メーカーで役職定年制が導入されたり、年功序列賃金の見直しが行われているのは必然の流れでしょう。日本の会社がかつての輝きを取り戻すならともかく、これからも業績低迷が続くとしたら、高齢社員の冷遇は止まらないことでしょう。では河西氏のような50代はどうすべきなのでしょうか?
会社勤めにはいつか「定年」がやってきます。定年の日をもってサラリーマンを引退し、その後は悠々自適な隠居生活を送る——これまではそれが可能でした。しかし、もはやそれは「過去の話」と考えたほうがいいでしょう。
・少子高齢化が進んで財政が厳しい国の社会保障制度
・収益力が低下して高齢者の面倒をみられない会社
・寿命が伸びて定年後も長く生きる本人
これらを考え合わせると「定年まで同じ会社で働いて、その後は年金生活」の常識は崩壊寸前です。だからといって定年前に募集される早期退職に応じ、転職することもそれほど簡単ではありません。
そこで私は「定年後フリーランス」という方法を提案したいのです。
定年後も働ける小さな商売人を目指す
高齢者になって生き苦しさを感じる大きな理由が「選択肢のなさ」です。
とくに苦しいのが「働きたくても働けない」状態。まだ学費やローンの支払いが残っているのに働けない。これは経済的にも精神的にも厳しいです。
「仕事=誰かに雇用されて働く」と狭くとらえてしまうと、高齢者が働ける職場はごく少ないです。現役中に培ったノウハウや知識を活かせる仕事はさらに少ない。歴史的に見ても、高齢者の仕事はキツくて低給の単純労働ばかり。
「雇われる」ことは難しい――これが高齢者労働の現実です。
ならば雇われることは諦め、フリーランスになるのはいかがでしょう?そう言われても、「自分には無理だ」と思う方がほとんどだと思います。そんな方に問いたいのです。
「あなたはフリーランスについて、何も知らないだけではないですか?」
サラリーマンからするとフリーランスは、特別な能力や専門的知識をもった「自分のような凡人とはちがう特殊な人間」に見えるかもしれません。でも決してそんなことはありません。たしかにすごい能力をもった人はいますが、ほとんどはあなたと同じレベルの凡人です。ただし「自分で稼ぐための努力」はしています。その日々の努力の内容が、サラリーマンとまったくちがうのです。
ときにそれは真逆の方向性です。会社では、「誰かがいなくなっても仕事が回る」仕組みをつくろうとします。
しかしフリーランスで「自分がいなくなっても仕事が回る」状態になったらアウト。「自分がいないと仕事が回らない」状態をつくるために全力で努力するのです。
フリーランスは小さな商売人です。かつての50年前、日本中のあちこちに小さな商売人がいました。彼らは自分のお店を出して商売し、家族を養いました。あの頃の商売人はモノを売ったりレストランを開店することが多かったですが、いまはサービス業が多いです。
自分のノウハウやサービスを売る令和の商売人、それがフリーランスです。
ここまでの50年、わが国では商売人が減ってサラリーマンが増えました。サラリーマンのほうが給料が高く、仕事もおもしろく、老後まで保障してくれたからです。
しかし再び変わり目がやってきています。
サラリーマンの老後に不安が出てきたいま、定年後も働ける小さな商売人を目指すことには大きな意味があります。雇ってもらえなくても、「自分で働く」選択肢をもつ。それだけで気分が楽になります。定年後「働こうと思えば働ける」自分になるべく努力することで経済的にも精神的にも余裕ができるはずです。