「日本人」が理解できない「外国では当たり前」の文化 外国人が見たニッポン
NHK BSの人気番組『cool japan』の司会者として、世界を旅する演劇人として、人気脚本・演出家が世界の人々と聞いて議論した。世界の人々が日本を体験して感じた「クール!」と「クール?」と「クレイジー!」 これを知れば、日本がもっと楽しくなる! *本記事は鴻上 尚史『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(講談社現代新書)の内容を一部抜粋・再編集したものです。 未来の自分に向けたタイムカプセルはクール! 多くの日本人は小中学校の時に、「タイムカプセル」を埋めたはずです。これが、番組では驚きをもって受け取られました。 スタジオには、アメリカやイギリス、スペイン、インド、ニュージーランド、ブラジル、ガーナ、ノルウェーの国の人たちがいましたが、小学校や中学校の時に、タイムカプセルを埋めた人は誰もいませんでした。自分たちの国にはそんな習慣はないと言いました。 唯一イギリス人が、地域の行事としてタイムカプセルを経験していました。ただし、日本人は「自分たちの思い出のためにタイムカプセルを埋め」ますが、イギリス人は「僕たちは、未来の人に向かって埋める。未来のまだ見ぬ人が、ある日、開けることを期待して、タイムカプセルを埋めるんだ。僕は、『八〇年代を代表するもの』を入れたよ」と語りました。 中学校の卒業式の時に埋めて、三〇年後に集まって掘り出した人たちを番組では紹介しました。作文や学級文集を掘り出し、再会したクラスメイトたちが「懐かしいな~」と感慨深く語り合うVTRを見終わった時、八人の外国人は全員、「自分の国にもあったらいいのに」と答えました。「こんな形で、自分の小学校や中学校のクラスメイトと再会し、小学校や中学校の思い出と出合うことは、とても素敵なことだ」と口々に言っていました。 ちなみに、僕も中学三年の時にタイムカプセルをクラスで埋めました。二〇年後の一月三日に開けようと決めましたが、それから数年後、新校舎に改築する工事が始まり、ブルドーザーが土を掘り返し、あっさりとタイムカプセルは行方不明になりました。 写真好きの日本人は、なぜ家族の写真を職場に飾らないのか もし、あなたが働いているのなら、あなたは職場に家族の写真を飾っていますか? 働いていないのなら、働いている親や兄弟はあなたが写った家族の写真を職場の机に置いているでしょうか? 多くの日本人は、家族の写真を仕事場には飾っていないはずです。 もともと、日本人は写真好きです。携帯電話(懐かしいガラケーです)にカメラ機能を世界で初めて付けたのは日本人です。そして、それをメールに添付して送れるようにしたのも日本人です。 「レンズ付フィルム」と呼ばれる使い切りタイプの、フィルムを内蔵した簡易カメラを世界的に流行させたのも日本人です。外国の日本人定番パロディーは、いまだに、「メガネ、細目、出っ歯、カメラ」だったりします。カメラを常に首から下げているのです。 日本人は写真が大好きなのです。なのに、どうして、世界では主流になっている「自分のデスクに家族の写真を置いてないのか」と、多くの外国人は不思議に思うのです。 欧米はもちろんですが、アジアでも、自分の職場の机の上に、妻や子供、愛犬の写真を置くのが普通です。なのに、どうして日本人はしないの? と言うのです。 家族の写真を置いている理由は、「自分の個人スペースなんだから、そこを快適な空間にすることは当たり前だろう」とアメリカ人が説明したことにつきます。全員がうなづきました。 「逆に訊きたい。どうして、日本人は家族の写真を置いてないの?」と言われました。あなたならどう答えますか? 「恥ずかしい」とか「プライベートな写真を仕事場に出したくない」とかでしょうか。 カナダ人が言いました。「上司に怒られてストレスがたまっても、机の上の妻の写真を見たらホッとする。ストレスが減る。だから、置いているんだよ」と。 僕は訊きました。「妻の写真を見て、ホッとするの? 妻の写真見て、ストレスが増えることないの?」。 番組に参加した外国人は「こいつはなにを言ってるんだ」という冷たい目で僕を見ました。ニードルカーペット、いえ、針のムシロに座っているようで、いたたまれませんでした。 日本人は泣くのが好き? 番組では「泣けるグッズ」というものを紹介しました。CDショップの棚に書かれている「泣けるCD」とか、レンタル屋さんの「泣ける映画」、本屋さんの「泣ける本」フェアなどの企画です。 これに対して、ほとんどの外国人が、「まったく理解できない」と声をあげました。 「本当に日本人は泣くことが好きだし、よく泣くよね」と外国人たち。 「スポーツで負けて泣くのはまだ分かるけど、勝って泣くのが分からない」「結婚式で泣いているのが分からない。ハッピーな瞬間に、なんで泣くの?」「テレビを見ていたら子牛が生まれたと言って泣くの。どうして?」「企業の人が泣きながら、失敗を詫びていた。信じられない」 「泣くこと」が理解できない、というコメントが続々と出されました。 アメリカ人女性が言いました。「アメリカでは、泣くことを良しとするものなんて、絶対に絶対に絶対に絶対にありません!」。 中国人女性が言いました。「中国の男の子は人前だけではなく、家でも泣くなと教えられるの」。フランス人女性が言います。「フランスでは男も女も人前では泣かないようにするわ。泣くのはプライベートなことだから人に見られたくないのよ」。イタリア人男性が付け加えます。「例えば、サッカーの試合では勝っても負けても泣いてはダメなんだ。人前で泣くと負けだ、という考えがあるんだ。泣くほど弱いと思われると、周りから信用されないし、つけ込まれやすいと思われるんだ」。 じゃあ、どういう時なら泣いていいんだ? と突っ込むと、「そんな時は思い浮かばない」と全員が言いました。 「涙」は、特に西洋では「弱さ」の象徴であり、「この物語は泣ける」は、売り文句にはならないのです。 企業の謝罪会見を見た西洋の人たちは、「泣いている時間があったら、なにをするのか早く言うべきだ」と思うそうです。そもそも、「謝る前に、どんな対処をするのか、我々の国では言う」とも語っていました。 「泣く」ことは、多くの日本人にとってはクールなことでも、海外ではまったく逆なのです。 さらに連載記事<日本の「アイスコーヒー」、じつは「外国人」には「衝撃的」だった…! その「意外なワケ」>では、「アイスコーヒー」が外国人に与えた衝撃について、詳しく解説しています。